新品の鳥かごの中には
猫の人形の真似をした猫が入っていた
一瞬どういうことか理解に苦しんだが
ああ。何か事情があって時間を稼いでいるのだと理解した。
私の主人はというと、そんなことには気づかず猫を鳥かごから掴み出し放り投げたかと思えば
自分が飼っているカナリアを新品の鳥かごに移した。
私は床に倒れている猫にそっと近づき
寄り添うようにして横に座った
猫は緊張しているのか人形のふりをしながら小さく震えている
私がこの猫を守らなければ。私は思った。
それからというもの一生懸命に人形のふりをする猫をくわえて連れまわし、私の無邪気な主人に気づかれないように遠ざけた。主人は私がすっかり猫の人形を気に入って離さないと呆れたように家族に話している。
夕飯の時間になると、家の外に人の気配を感じた。
猫の主人が連れ戻しに来たのだなと瞬時に察した。
私はそばに置いていた猫を再度優しくくわえて主人に外に出してもらえるように頼んだ。
主人は渋々扉を開けて、帰りは自分で閉めるんだよとその場を去っていく。
玄関を出るとそこには黒い服を着た少女が待っていた。
私が口にくわえた猫を離すと、猫は素早く少女の元に駆け寄っていく。
猫との再会を喜んだ少女は私にお礼を言いながら、代わりにこれを主人に渡して欲しいと猫の人形を渡してきた。
私は渡された人形をくわて静かに家に戻った。
猫との別れに少し寂しさを感じつつも、新たに渡された人形は確かに鳥かごの中の猫にそっくりだった。
私はその日から猫の人形を肌身離さずくわえ歩いている。
会場にいる参列者の視線の先には
様々なフルーツがあしらわれた3段のウェディングケーキがそびえている。
本日晴れの日を迎えた新郎新婦がまさにファーストバイトを行うところであった。
純白のドレスを身に纏った美紗は自分の腕くらいある大きいスプーンでケーキを掬い上げ、これからの一生を共にするであろう新郎の貴史の口に運ぶ。
貴史は少し恥ずかしそうにしながら大きな口を開けて美紗の愛情を受け取った。口の周りはクリームだらけで、それを見て美紗が幸せそうにくすくすと笑う。
会場の至る所からカメラのシャッター音と、
2人を祝福する声や拍手が聞こえる。
僕も周りに合わせて激励の拍手を送った。
しかし、心の奥底では思ってしまったのだ。
「「ああ。僕はどこで選択を間違えたんだろう。」」
人生は選択の連続だと言う。
果たしてあの時僕が選ばなかった言葉の先に、
僕が選ばなかった道の先に、
レースのベールを被り、
こちらを見つめる美紗がいたのだろうか。
美紗が差し出すケーキを
嬉しそうに頬張る僕がいたのだろうか。
もしドレス姿の美紗の隣に立っていたのが僕ならば
どれほど今日この日が素晴らしかっただろう。
この会場の誰も知らない僕と美紗の2人の時間は確かにそこにあったし、僕はまだ捨てられずにいた。
僕はいつの間にか自分の足元に向かっていた視線をライトに照らされた2人に戻した。
周りに見えないように、左目から流れた涙を拭い心の中でつぶやいた。
「今までありがとう。幸せになれよ。」
その後配られたケーキは
優しい甘さの中にほろ苦い後悔の味がした。
私だけの魅力ってなんだろう。ふと美紗は考えた。
顔はどこにでもいそうな平凡な顔立ちだし、体型だって中の下。仕事だって人並みにできるだけで、突出した才能もない。人からは優しいと言われるが、自分の黒くて汚い感情も知っている。
見た目も中身も人並み、いやそれ以下である自分は
これから何を盾にして剣にして世の中と戦っていけば良いのだろう。
美紗はブランコに揺られながら夏の青々とした空を見上げて大きくため息をつく。
一粒の汗が首から背中を伝うのがわかる
美紗は苦しかった。
考えれば考えるほど、自分の空っぽさが明らかになるだけだった。