『生徒に「顔を見せて欲しい」
と言った中学校教師、戒告処分』
(◯◯新聞朝刊にて)
クラスの新入生自己紹介の場で
中学校教師が生徒に対して
「マスクを外して
顔を見せてくれないかな?」
と強要したとして、
この教師を戒告処分したことを
学校側が報じた。
生徒が親に相談したことから
発覚した。
学校側は
「配慮に欠けた行為だった」
と謝罪して、
「今後はこのような事が
無いように努める」とした。
問題の担任教師は
「強要はしていない。
早く生徒の顔と名前を覚えたくて
そうした行動をとった」
と語った。
2009年の今頃
「これからは、ユータブの時代だ」
と、バイト先の先輩が自慢気に言った。
今思えば、
それユーチューブじゃね?
春風とともに
『人生はやり直せないクソゲーである』
このゲームは
スタート地点も残機も運だのみだ。
何ステージあるかも分からない。
共通して最初は皆、
完璧なスコアを目指す。
「自分こそが最高なクリアをしてみせる」
と、意気込む。
しかし、
取り返しのつかない事をしてしまい、
投げやりになる人が多い。
「あの時、あそこの隠しステージに行けばこの先楽だったのに…」
「あそこで隠し武器手に入れてれば…」
「あそこで焦らず、もっとレベル上げていれば楽だったのに…」
と、後悔する。
それでも、
後悔してる間もゲームは進んでいく。
そして後悔ばかりしていると、
また大切なアイテムを取りこぼす。
自分が来たかったステージとは違うと、
始めの頃と比べて
ヤル気がどんどんなくなる。
どんどん適当になる。
ふと、隣の人の画面を見る。
同い年のその人は
とても楽しそうにゲームをしていた。
しかし、
アイテムを取りこぼしてばかりで、
お世辞にも上手くはない。
スコアも低い。
これではランキング圏外だ。
ふと、考える。
「誰から評価して欲しかったのだろう」
「どこにクリアがあるのだろう」
「そもそも、このゲームに攻略法などあるのか?」
悩んでいても自分のゲームは進む。
すでに自分のゲームには興味がなくなってしまった。ただ残機だけに注意して危ないステージを避けるだけの作業になっている。
同い年の人のゲームが
突然終わった。
その人の最後の表情を見て気づく。
あぁ…楽しめば良かったのか…
小さな幸せ
小学生の頃、
自分もいつか好きな人ができて
家庭を築くのだろうなと思った。
そんなことを暇さえあれば、
いつも妄想していた。
恋人とのデート。
結婚して家庭を持った自分。
「いつか、未来の家族のために」
と思い、
お年玉やおこづかいを貯金しはじめた。
恋人が出来たときのために
デート資金積立。
結婚した時の結婚式のために。
子供が生まれたときのために。
『いつの日か積立』である。
しかし現実は、
20になっても恋人はできず、
30を過ぎてもできず、
40過ぎからは仕事以外で異性と
話す機会はほとんど無くなった。
『いつの日か積立』は
社会人になってからは
投資にもまわしていた。
今では数億円にもなっている。
未だに1円も使っていないし、
使う予定すらない。
自分は今年で60歳になる。
どんどん歳をとっていく自分と
あの頃に思い描いた理想の乖離で
精神的におかしくなった時もある。
いっとき、
犯罪に手を染めそうになった。
そんなときは
「自分に子供がいたらどうする?」
と、妄想した。
「子供に誇れる親でいたい」
という答えが、
自分に理性を取り戻させてくれた。
いつになったら
『雷に打たれる』のだろうか。
運命の人と出会ったとき、
『雷に打たれたような』
という比喩を
本気にしているひとの人生である。
春爛漫
『ルナビーム』
七色のプリズムから放たれるソレは
地球防衛の要であり、
人類最強の兵器だった。
ソレは月の裏側にある。
今の私達は誰も知らない。
まだ宇宙戦争があった時代である。
私達は平和を勝ち取った。
あの時、人類はひとつになっていた。
あの時代の人々は想像も
しなかっただろう。
平和になった地球で
人類同士が醜く争うなんて…