昨夜は愛犬の夢をみた。
名前はマリリンという。
私が小学生低学年の頃、
4歳上の姉が友人と
段ボールを抱えて帰宅した。
中には3匹の子犬がモゾモゾと動いていた。
その中の一匹がマリリンだった。
メスである。
顔は黒マスクをかぶったような
見た目だった。
夢に出てきたマリリンは
亡くなる直前の姿で
あの頃のような元気は無かった。
見た目も成犬になる頃には
黒マスクは無くなっていたので、
全体は茶色がやや強めに混ざった
クリーム色の姿だった。
老犬だったけれど
嬉しそうに私に抱きついてきた。
私も会えたのが嬉しくて
必死に撫でた。
最後の別れは
保健所に連れて行かれるときだった。
母と祖母、私が見守る中、
今にも命尽きそうにぐったりしていた。
「どうして家で最後を迎えさせて
あげなかったのか」
ずっと悔やんでいた。
庭に小さくてもいいから墓を
たててあげればよかった。
でも、
また会えて良かった。
そっと伝えたい。
タイムトラベルものの映画を観た。
主人公がこう言った。
「あの人が存在しないと
私は生まれてこないことになる」
ふと、
独身の私は思う。
一生独り身の自分がもし消えたとしても、
子供はいないので、
こう言ってくれる存在はいないのである。
あの映画では私は消えても
困らない存在なのだ。
完全にモブ以下のキャラである。
しかし、
私がいないと私が今まで
「推し」に費やした金は推しには
入らないのだ。
なんだかココロが痛い。
こんなつまらない世界から
バイバイしたい。
いつもそう思いながら生きてきたオレ。
ある日、映画を観る。
それは「身体が入れ替わる」
というモノだった。
中身はそのままで新しい人生を
歩めるのが魅力的にオレには映った。
強く願った。
そしたら叶った。
しかし、数日してから気づいた。
なぜかって?
双子の弟と入れ替わっていたからだ。
性格は違うが、見た目はほとんど同じだ。
意味ない…
小学生低学年くらいの頃、
「死ぬのが怖くて」
こっそり母の布団の中に潜り込んだ。
母は何も言わず抱きしめてくれた。
「なぜ死ぬのか?」
爺ちゃんに聞いたことがある。
「死んだことがないから分からん」
と、笑って言われた。
けれど、間を空けてから
「死が怖くない人間にはなるな」
と、真面目な顔で言われた。
あれから20年ほど経つ。
私は受験勉強やら社会人やらと
経験していく中でいつの間にか
「死ぬことについて」
何でもないフリをしている。
爺ちゃんは私が高校生の頃に亡くなった。
「死が怖い」のは
この人生が大切で失いたくないからかな?
と、なんとなく爺ちゃんの言葉を解釈している。
今の自分は子供の頃と比べてどうだろ?
「泣きじゃくる」ほどに今の人生が終わることに恐怖しているだろうか。
※『たそがれる』とは
「日が暮れる」
「物事が衰える様子」の意味。
「物思いにふける」という意味はなく、
誤用だが俗語として許容されつつある。
たそがれて、宇宙を見上げる。
宇宙で生活する人類を想像した。
アニメや映画で観たシーンを素材に
無重力の中を飛び回る人々を頭の中で
創り上げる。
そこで、あることに気づく。
「無重力なら女性は
ブラジャーを付けなくても問題ない」
おっぱいがたそがれることはなくなる。
つまり、将来的に
男女関係なくトップレスになる時代がくる。
「生きねば…」
そう思った。中二の秋である。