思い出したくない思い出の数
それが私の後悔の数
思い出す 忘れたくない 宝物
祈る指先 溢れる記憶
あの青の中へ時々飛び込んでしまいたくなる。
沈むことなんてないだろうに「どぷんっ」と音を立てて、青の奥の奥に沈み込んでしまいたくなる。
青い中から見た地球は綺麗だろうか。その青の中は見渡す限りの青だろうか。私の目に映る青という青を見てやりたい。
海とは違って何もない、本物の青にいつか飛び込んでしまいたい。
浸るように漂えば私もいつかはその青に染まって、自分が元々どんな色だったかもわからなくなり。
おそらくは幸せな形だけは残る。
あの青は受け止めてくれるだろうか。
「どこまでも続く青い空」
多分今日の気持ちで昨日の言葉を聞けたら、私たちはまだ2人で笑えていたかもしれない。
もし昨日が私にとって幸せに満ち溢れた一日なら、家に帰ってのあなたの言葉を嫌な意味でなんて受け取らずむしろ「どうしたの?」と心配できたかもしれない。
全てはタイミング。
両者の気持ちや言葉の選び方、それら全てどれだけ気をつけてもタイミングさえ合わなければすれ違いは起きる。
けれどまぁ、同時にどんなにすれ違ったとしても何よりも大事であれば人は我慢し、すれ違いすらなかったことにもできる。相手を想い、自分のために。
…要するにそこまでの気持ちが相手に湧かなかった時点ですれ違うものなので、まぁそういうタイミングでもあるのだ。お察し。
涙の理由?
そんなこと今知りたいの?知ってどうするの?
…慰めてあげる?ありがたいお話だけど、気持ちのこもってない慰めなんてごめんだわ。
なんでって?だってあんた配慮とかできないでしょ?理由を話したら「じゃあこうすれば良かったんじゃない?」なんて「君のここが悪かったかも」なんて、腹の立つ言葉を吐き捨てそうだもの。
なんでそんなこと分かるのかって?そんなの簡単、分かるわよ。
そもそも優しい言葉をかけられる人はね、泣いている人に理由なんて聞かずただそばに居てくれるもんなの。泣いてる人はただでさえ悲しいのに「その理由を今すぐ話せ!」なんて強引なことされて嬉しいと思う?そんなことする人が優しいと思えるの?私は思えないわ。
…まぁそうね、そばにいなくても気にかけながら素通りしてくれるのも優しさではあるわ。なんてことない日にご飯を誘ってくれたりね、それくらいでいいのよ。
ね、あなたには無理でしょ?
自分の優しさがどれだけ押し付けがましいか分かった?
分かったならどこかへ行ってちょうだい。私はまだ泣きたいの。あなたがいたら悲しみにも浸れやしない。
自己満足はどうぞ、よその誰かへお願いね。