お題 真夜中
私は一日を終える為、ベッドに潜ると時折途方もないことを考えてしまいます。
今、こうやって生活出来ているのは神様が私に命を与えてくれたからだ。私は今の生活を「普通」と思っているが私がこの世に生まれて、人間になって、日本人になって、今の両親の間に生まれなければこの「普通」を手に入れることは無かった。正直、私は今この「普通」がずっと続けばいいのにとよく考えます。
ですが、人はいつか死んでしまう。この「普通」が無くなってしまう。私はずっとずっとこの平和のまま永遠に生きていきたいと考えます。ですがいくら足掻いても終わりは来てしまう。なら、せめてでも前世の記憶があれば…と考えますが今、私には前世の記憶が無い。つまり、私は前世の記憶を持てない人。
そう考えると途方もなく寂しくなってしまうんです。
恐怖に溺れ、1人ぼっちが辛くなるんです。
私はそれを忘れるために目をつぶる。
すると次に目を開けると外が明るくなっているんです。あの恐怖を全て忘れ、また新しい一日が始まる。
だから私は真夜中が1番嫌いです。
お題 愛があれば何でもできる?
今回のお題、それを見た瞬間すぐに友達に聞きました。理由は単純、私は「愛」というのが上手く理解していないからです。
私には3年前から好きな実況者グループがいます。そのグループに会ってから毎日その人たちの動画を見るのが習慣になりました。時折別の実況者の方を見ますが、結局はここに戻ってくるので、どんどんその人たちの沼にハマって行きました。
そこから2年後ぐらいに私の周りで「推し」という言葉を聞くようになりました。
「昨日"推し"がさー」「え、待って"推し"の初LIVE決まった」「推しのグッズ、ビジュよすぎ」
私はその言葉を聞いていくうちに私の実況者グループへの好意は「推し」というのに分類されるのでは?ということに気づきました。私はその日から「好きな実況者グループ」から「推し」というのに変わりました。
私はオリジナルグッズを作ったり、何か好きなシーンが流れたらすぐ友達に話すという生活に変わりました。
しかし、私の「推し」は1年後に活動を休止しました。理由は「どうしても叶えたい夢がある」との事。しかし、今すぐ休止する、という訳ではなく3ヶ月後に休止するとの事でした。周りの人は「活動休止!?悲しいよーでも応援してる!」「しばらく放心状態です」と言っていました。
でも、私は特に何も感じませんでした。「夢があることはとてもいい事じゃないか」「叶えられるとといいなー」
そのぐらいでした。ですが、普通のオタクは悲しむはず。そう考え友達に悲しんでる"フリ"をしながら、特に悲しむことも無く残りの3ヶ月をいつも通りに楽しんでいました。
活動休止になると他実況者の動画を見るようになり、グループの動画を見ることはほぼ無くなりました。見るとしても、グループメンバーの個人チャンネル動画。
面白いけどやっぱり…という気持ちがずっと漂っていました。
そして今、私はグッズを買い、そのグループのオタクをしています。前は「推し」はグループメンバーだけでしたが、アニメの好きなキャラも「推し」になっていき、少ないながらグッズを集めています。
ですが、そんなある日、私はふとずっとずっときずかぬフリをし、目を背けていたことに気づいてしまいました。
それは、私の推しは存在しないこと。ずっと前から言っていた「推し」は「好きな〇〇」を2文字で訳し、「愛」を偽っていた。友達との会話について行くために嘘をついていた。急に自分の好きが何なのかわからなくなりました。「友達への愛」「家族への愛」色々な愛がありますが赤の他人に友情や家族愛のようなものでは無い、別の愛が何なのかわからなくなりました。
今回のお題について、友達3人に聞きました。
すると2人は何でもできると答えました。友達全員に「なんの愛を参考にした?」と聞くと1人だけ推しへの愛だと答えてくれました。
私は「だよねー、愛と言ったら推しだよねー私も自分の推しの愛を参考にするわ」
と返信をそのあとしました。
私も愛があれば何でもできると思います。
追記
長々した文を読んでくれてありがとうございました。
上手く言葉で表せてないですがご了承ください。
私は数ヶ月前にずっと縁を切りたかった心友と遂に縁を切れました。と言っても私から連絡手段や話しかけられないようにしただけなのですが。
始めは「避けられてる感じがするのだけれども…」的なことを言われたがそれも気の所為だよーとか誤魔化していたけど次第に話しかけてこず、ただ私を見ているようになりました。
やった、成功したんだ!と思っていましたが、最近になればなるほどもっといい縁の切り方があったのでは無いのかと考えてしまっています。いつもその人のことが脳に過ぎるので後悔してるのかなといつも考えてます。