バレンタイン。
1年に1度、チョコと共に想いを渡す日。
好きな人、友達、家族、クラスメイト。
誰に渡すかは人それぞれ。渡さないという選択肢もある。
でも、なぜわざわざこの日に渡すのだろう。
別にいつでも渡せばいい。この日にしか渡してはいけないなんて決まりはない。
でもなぜか人間は、この日を選んで渡すのだ。
わたしは、それは人間が繊細で臆病だからだと思う。
人間はきっと怖いのだ。こんななんでもない日に突然告ったら変かな、いつ告白するのがおかしくないかなとか、いろいろ気にしてしまう。
だからバレンタインなんて日をつくったのだろう。
そんな事情を想像すると、なんだか微笑ましくなるのだ。
簡単には伝えにくい想い。告白でなくとも、誰にでもそれはきっとあるのだろう。せっかくだから、この微笑ましい日を活用してみるのも悪くない。
わたしもそうすることにする。わたしに好きな人というのはいないので、お父さんにでも渡すことにした。
いつもはあまり伝える機会のないこの想い。チョコマフィンにのせて、手紙と共に、手渡しで。
「いつもありがとう」
わたしは今も、あの子を待っている。
わたしは昔、友達と約束をした。
友達は同じ習い事をしていたけど、引っ越してしまうらしかった。
あの子は言った。
「3年後に帰ってくるから。またこの習い事するから、待っててね」
あの子は帰ってこなかった。
引っ越したまま帰れなくなってしまったのか、習い事をやめてしまったのか、それとも別の理由があるのか。それはわからない。
しばらくして、ある時、習い事をやめないかと言われた。
言い訳をして断った。わたしに才能がないことは知っていたし、他にもっと安く良いことを教えてもらえる場所があるのも知っていた。
でも、あの子を待ちたかった。
あれからしばらくしたけど、やっぱり帰ってこなかった。
あの頃は、引っ越した子ともうひとりとで仲良し3人組だった。
もうひとりの子は上のクラスに上がってしまって、わたしは取り残された。
その子とすれ違ったこともあったけど、その子のまわりには他の友達がたくさんいた。
よかった、と思った。
わたしなんかに囚われず、もっといい友達と出会えたんだ。
その事実に、なんだか安心したのだった。
きっと引っ越したあの子も、新しい友達ができたのだろう。
実際、わたしも新しい友達がたくさんできた。みんないい子。
でもわたしは心のどこかでずっと待っている。
「待っててね」
あの子は、確かに、確かにそう言ったのだから。
伝えたい、この想い。
わたしは今まで、たくさんの人に支えられてきた。
生まれてから今まで、わたしがひとりで何かをこなせたことはない。
家族、先生、友達。顔も見たことがない人でさえ。
みんなに支えられている。
嬉しいときに一緒に笑ってくれた。
悲しいときに一緒に泣いてくれた。
成功したときに喜んでくれた。
失敗したときになぐさめてくれた。
背中を押してくれた。
立ち止まることを許してくれた。
自分のいいところに気付かせてくれた。
でもわたしはその人に何をできた?今までもらったものに見合うものを、どれだけ返せた?
手遅れにはしたくなかった。だけど今はまだすこしずつしかできない。ごめんね。
まだわたしはひとりで立てない。でもいつか必ず返す。
わたしもきっといつか、誰かの支えになる。
だから今は、もうすこし待ってほしい。
今は、これだけ伝えたい。
ありがとう、みんな。
この場所は、わたしの宝物であった。
昔、わたしが小さかったころ。わたしたちはこの家に越してきた。
わたしはこの家が好きだ。この白い壁、明るい色のフローリング。黒いソファ。
当たり前と言えば当たり前だ。わたしは昔からずっと、毎日毎日この家で過ごしてきたのだから。
でもそれは、とても不思議なことでもある。
偶然生まれ落ちたこの家族。そして選んだこの家。
はじめは真新しかったこの机も、今はシールを剥がした跡とジュースの染みと、鉛筆の薄い線が拭いても取れないくらいにこびり付いている。
今まで何度ここで食事をしたのだろう。
何度ここでゲームをしたのだろう。
何度、ここで笑ったのだろう。
あとすこし大人になったら、わたしも自分の家というのを見つけるのだろう。
でもきっとそれは、この家にそっくりのはずだ。
この家は、この場所は、わたしの思い出そのものなのだから。
誰もがみんな、なんとか生活している。
最近ときどき、ちょっとした出会いが不思議に感じるようになってきた。
たまたまエレベーターで一緒になった人。たまたま電車で同じ車両に乗った人。たまたま街ですれ違った人。
もう会うことはきっとない。この人もわたしと同じように長い長い物語を持っているのに、わたしはそれを読むことはできない。
たくさんいる人間たちの中で、わたしの物語を知っている人はほんの少し。わたしが知ってる誰かの物語も、ほんの少し。
わたしが今会ったこの人も、きっと数分後には、わたしも向こうも顔さえ覚えていないだろう。わたしは誰かの物語のモブでしかない。
でも、それでもみんな、なんとか自分の物語を進めるのだ。それが誰にも見られなくたって、わたしたちは今日も生きるのだ。
きっともう一生覗けない、あの人の物語。そこには、どんな感情が描かれているのだろう。
そう知らない誰かの物語を想像するとき、ふとわたしは思う。
頑張っているのはわたしだけじゃない。
勝手に仲間を増やしながら、今日もわたしは、わたしの物語を紡ぐ。