正しさを求めて生きるのは良い事だが、正しさを押し通して生きるのは間違いである。正しさというのは生物の不合理と不合理が合致して生まれる新たな不合理である。
優しい思い出に背を向けるのは酷く寂しくて、あの日の温もりだけが冷めていく感覚に怯えている自分の肩を抱いた。
寂しさと恐れを埋めるために人に依存していることに気がついた時、わかった。戻せないのは時間だけでは無いらしい。これだけの時間が経っても心の形は治らなかった。これだけの時間が経っても寂しさには慣れなかった。これだけの時間が経っても、幸せの形に気がつけない。いいや、気がつこうとしない。
きっと今日も、今までも、明日も、私は幸せ、多分。
走馬灯、というのは自分で選び取れるものでは無いから。記憶の中にある一輪の花を選び取れると決まっている訳ではないから、だから、できるだけそばにいて欲しい。そばにいて、できるだけ記憶に多く残っていて欲しい。そうすればきっと、死ぬ時もあなたで満たされていられる。
君の声がすると思って目を開いた。久しぶりに聞いた声で、優しく頬をすかすような。春の暖かい風に桜の香りが乗るような感覚が耳を掠めた。1人の部屋、1人の靴、1人の箸。朝に声を聞いただけなのにも関わらず、どうということのない景色の一つ一つが色付いて見えた。
もし今朝の声が君でないとしても、君が私に声をかけることがなかったとしても、今だけは君がそばにいると信じたい。
記憶は欠片であることを知った。記憶は硬い岩であることを知った。記憶が確固たるものになる訳では無いことを知った。記憶はいとも容易く隠せてしまうことを知った。
辛い記憶は自ら隠れないことを知った。幸せな記憶が溶けて苔むすことを知った。優しくされると記憶が緩くほどかれることを知った。解ける感覚が怖かった。心配されたいのと裏腹に、やさしくしないで欲しいと願う自分がいることを知った。