今一番欲しいもの
60歳過ぎると身体も疲れやすく旅行もしんどい。
服も似合うものが少なくなりお腹とお尻が隠れる服ならなんでもいい。
食べるものも油こいものはキツく、すご〜く食べたいものもない。
健康で長生きしたいかというと、普通に老いていくことに抵抗はない。
じゃ〜私が一番欲しいものはなんだろう?
しばらく考える。
あっ!そうだ!
5年前から始めた中高年が好きなポケモンGO。
ず〜とゲットできない、ミュウツーが今一番欲しい!
ゲットできたらカントー地方のポケモン図鑑は全部埋まるの〜
ミュウツー!欲し〜い!
私の名前
僕の名前は〝幹太”。きっと父親は幹の太い人間になれって付けたんだと思う。
僕としてはもっとカッコいい名前が良かったが、友達からは親近感が湧き呼びやすいと高評価である。
今日は仕事が休みで、少し散歩にでも行こうと川沿いを歩いていると
「カンタそっちじゃないこっち、、」
えっ!と思って振り向くとシュナウザー犬を散歩させている小学生ぐらいの女の子がいる。
(犬の名前なのか〜)
犬も家族だから最近は犬にも人の名前をつける人が増えたと聞いた事があるが
(あの犬カンタか〜犬と同じ名前か〜)
その犬がまた飼い主の言うことを聞かず、あっち行ったりこっち行ったり、、、。
「あ〜カンタ!そんなところにウンコしちゃダメでしょー」
(はぁ〜カンタだめじゃないか)
他の犬が来ると全く動かない。
「カンタ!歩いてよ!もーカンタなんかきらい!」
(はぁ〜僕も女の子にはモテないんです)
それでも女の子は楽しそうにカンタと散歩をしていた。
(カンタ、お前は愛されているぞ。だからもう少し大人になれ!
俺と同じ名前だからこれからもモテないかもしれないけど、家族は大切にしろよ)
またいつかあのシュナウザーに会ったら、「僕もカンタなんです」って言ってみようかなぁ。
「いい名前ですよね〜」って、、、笑
視線の先には
私は老人介護施設で働く介護福祉士です。
満床50人のフロアで、入浴介助や食事介助、排泄介助などを行なっている。自立している人なんてほとんどいません。
昨日から今日は夜勤でした。夕食の食事介助から始まり、夜間の排泄介助、見守り、様々な訴えの対応を職員2人でやります。
今日も夕食後、パジャマ更衣や排泄介助、臥床介助をしてやっと落ち着いたのは21時半。自分達も食事をして、記録を書く。
記録を書いている時に、ナースコール
「ご飯は?」
「さっき食べましたよ」
「食べてな〜い。嘘つき〜。殺す気か〜」
温かいココアを提供し落ち着く。
ナースコール
「起きる」
「夜中なので寝ましょうねー」
納得し寝る。
ナースコール
「起きる」
「夜中ですよ〜」
寝る。
ナースコール、、、、、。繰り返す。
ナースコール
トイレ誘導する。その5分後、ナースコール。トイレ誘導する。
その10分後ナースコール、、、トイレ、、、。
「もう出ないと思いますよ〜」
寝る。
杖をついてふらふら部屋から出てくる。
「帰る」
「夜中なので明日にしましょうねー」
寝る。
「ギャ〜‼️」
寝言。
無事に朝ごはんを提供し、日勤者に申し送りをして、
「皆さん後は宜しくお願いします。なんとか皆んな転倒しないで良かったです」
一緒の夜勤者に気をつけて帰るように言い、自分も退社する。
一晩中歩いてもう足は限界。
帰りの電車の中で爆睡したけど、降りる駅で目を覚ましてセーフ。
帰って少し食べて、3時間ぐらい寝たところで目が覚める。
愛犬はどこにいるかと目で探すと、愛犬の視線の先にはマイリード。
「散歩ですか?お母さんはまだ動けません。どうかお一人でご近所を周って来てください」
とお願いしましたが、そんなわけにはいかず、重たい足を引きずりながら愛犬の散歩にいきましたとさ、、、終わり、、、。
私だけ
娘によく言われる。
「お母さんさ〜本当にカタカナ弱いよねー」
私が〝フィスティバル”って言ったら〝フェスティバル”だよと笑われた。
電気屋で〝ディスクトップ”があるか定員に聞いたら
「デスクトップだよ」って娘に言われた。
〝人間ドッグ”に行こうか相談したら
「人間のような犬になるのかよ」と、、、。
今度、〝eランニング”を受けるって言ったら
「eラーニングだよ。お母さんは一体どこ走るの?」と言われた。
スーパーで〝アボカド”のポップを見て〝アボガド”だよねーって言ったら、無視された。
〝ギブス”も〝ギプス”なんだって、、、
〝バトミントン”も〝バドミントン”なんだって、、、
私だけ?
違うよ!昭和のおじちゃん、おばちゃんは皆んなそうだよ!
遠い日の記憶
父は大工をしていて普段は寡黙な人だった。 父が帰ると必ず1番に風呂に入り、夕食の時は父の好きな野球を観ながら食べた。マンガが観たいなんて言えなかった。
妹と喧嘩をすると、うるさいと言われ2人で外に出された。
母は優しく、そっと裏から入れてくれた。
父はお酒が好きで、少し酔うと笑ってくれた。普段、笑わないから嬉しくなったのを覚えている。
父は大工だから本当は男の子が欲しかったんだろうな〜っていつも思っていた。
そんな父だったけれど、夏は必ず多摩川の花火大会に連れて行ってくれた。
「くるぞ、くるぞ〜ほ〜らでかいのきた〜
あれはナイアガラの滝っていう花火だ すごいだろ〜
連発花火だ!綺麗だな〜」
と、私と妹に上機嫌で話してくれる。
花火大会が終わると一斉に皆んな帰るため、ぎゅうぎゅうに混雑する。
父は妹をおんぶし、私の手をぎゅと握る。
「絶対に離れるなよ」
と言って痛いくらい握ってた。
父は60歳で亡くなった。癌だった。
私ももうすぐ父が亡くなった歳になる。 夏の花火を見ると父を思い出す。
夏の遠い日の記憶である。