#麦わら帽子
暑い夏
僕らはあぜ道を進んでいる
この日は日差しが強くて、君のことを見ようにも
目を細めなきゃいけないくらい眩しかった
君は麦わら帽子を被りワンピースの裾を翻しながら
僕のことなんてお構い無しに進んでいく
「早くおいで!
この先にもっと凄いところがあるんだから!」
振り返りながら僕にそういった
君が指す先は木々が茂っている
「わかった!」
と言って流れる汗も気にせずに
君の背中だけを追いかける
追いかけ続けて追いついた時
小高い野原になっていた
よく見ると先の方に君の姿が見える
「やっと追いついたよ」
そう言いながら前を見るとひまわり畑が広がっていた
「これが見せたかったんだ!」
その声を聞き、横を見ると
君の姿はなかった
ふと自分の手を見てみると
夏にいつも被っていた君の麦わら帽子がしっかりと
握られていた。
#終点
勉強や趣味、スポーツ……
娯楽や学習の中で終わりがあるもの、無いもの
どちらも存在している。
でも終わりがあるものは自分で決めなければならないし、無いものは自分が飽きない限り終わることは無い。
その中で唯一、終わりが確実にあるもの。
『人の一生』、いわゆる『人生』だ。
これだけはどんなに足掻こうといつかやってくる。
人生100年時代の今でも。
じゃあその中でどう生きるのか。
それが最期の時後悔するかしないかの違いになると思う。
そしたら人生の終点まで必死に生きて
色んなことやって楽しく終わりたい。
「ねぇ、運命の赤い糸で繋がってるって言われたら信じる?」
ある時君はそう言った。僕にはどういうことなのか、どんな意味があって言ったのか分からなかった。
「信じてる人はいるんじゃない?僕は運命論なんて信じないけどね」
僕はそう冷たく言い放った。少し君の顔を伺うと何故か悲しそうな目をしていた。
「そっか。人それぞれだもんね」
君は辛そうに笑った。
そう言ってから君の姿を見ることは無かった。
あれから、あの会話してから、僕の時間は止まったまま。今になって君のことが大切だったなんて言っても遅い。それでも僕は君と繋がっていたことを嬉しく感じる。あの会話は僕が赤い糸の話を少し信じるようになったきっかけの話。
最後に会ったのはいつだったかな
ずっと大切な存在になると思ってたのに。
君のこと忘れたくないと思っていたのに。
どんどん記憶は薄れていく。
でも、最後に会った場所は覚えてる。
それは、夜空の下、星が綺麗に見える夜だった。
1年後
正直、最近はこれからの自分がどうなっているのかなんて想像は出来ないでいる。
小さい頃はこうなってるのかなって簡単に想像出来ていた。考えてみればそれって凄いことだったのかもしれない。だって未来のことに期待して、考えることが出来てるんだから。それが出来ない理由って世の中のことを少しずつ知ってきてしまっているからだと思う。
それって少しずつ大人になっている証拠でもあるけど。そのことを意識しちゃうとなんだかちょっと寂しいよな。
だから私は1年後のことはあまり考えないでいる。今よりも大人になって、できることが少しでも増えてたら、覚えたことが少しでもあったらいいかなって思う。その間に大人になっていくものだと思う。
別に大きなことを成し遂げなくても、活躍しなくても、1年という長いようで短い間で何をしようと必ずやってくる。それだったらちっちゃい目標を考えた方が楽じゃないかな。それで1年後少しでも成長や変化が出ていたら、儲けものなんじゃない?長い目で見たら1年なんて短いんだから。