――ねえ、こっち見て。
唐突なのはいつものことで。
毎朝うんうん言いながらセットしてる前髪、ミリ単位まで考え抜いたスカートの丈、お小遣いと相談して厳選したマスカラ・チーク・アイシャドウ。
揺れるツインテールまで、いつも通りなのに。
――見て、まだ見て、逸らしちゃダメ。
どうしてこんなに、バカみたいにドキドキするんだろう。
「いち、にぃ、さん……。どう?!」
「どう?って、何が」
「好きになった?」
「……は?」
「人って3秒見つめられると、恋に落ちるんだって!」
「なに、それ。どこで聞いたの。どうせまた、インチキ投稿でも見たんでしょ」
「むぅ。センパイに試そうと思ったけど、やっぱダメか〜」 「センパイに不審者扱いされる前に気づいてよかったね。……てゆーかさ。アタシで実験しても意味無くない?」
「え〜〜。でもそっかぁ、もうあたしのこと好きだもんね!」
「ばか」
うん、もう好き。ずっと好き。
見つめられても、恋になんか落ちないよ。
胸が痛いだけ。幸せなだけ。泣きたいだけだよ。
あなたはずっと知らないけど。
#見つめられると
とくん、とくん、とくん、
音がする。振動する。温もりがある。
やわらかな春の朝。あなたはまだ、夢の中。
とくん、とくん、とくん、
不安になる。確かめる。安堵する。
とくん、とくん、とくん、
綺麗な人は、鼓動まで綺麗。
ぼくのこの、歪さよりもずっとずっと。
あなたと、ぼくのが、混ざりませんように。
ずっとずっと綺麗なままでありますように。
房でもなく、弁でもなく、血液でもなく、動脈も静脈もなく、
この綺麗さだけが、ぼくの。
#My Heart
「そうむくれなさんな。優男が台無しですよ」
「うるさい」
「仕様が無いでしょう? そんな風に頬を膨らませたって欲しいものは……嗚呼、今まではぜんぶちょーだいすれば貰えたんですねえ。可哀想に、甘やかされた末路がこれです」
「うるさい、うるさい。お前が悪い、全部です」
「いいや、違うね。悪いのはどこまでも貴方ですよ、先生。可哀想に。」
「先ほどから、可哀想可哀想と、愚弄するのも大概にしたらどうです。可哀想と思うのなら尚のこと、僕の欲しいものを返事ひとつで寄越したらいい」
「へっ、やなこった。俺はアンタの教え子で、お父上でもお母上でも無い。けれども、ええ、俺はそれでも先生だけには甘くて優しいから。正しいお強請りの仕方が知りたいのなら、いつでも教えて差し上げますよ」
「下衆が」
「可愛い可愛い、仔犬がきゃんきゃんと愛らしい」
「僕はただ、お前の、」
「先生、先生。俺から綺麗なものを求めちゃあいけません。無いものは無いんですから。求めるなら、もっと、奥深くから」
「いやだ、そんな汚いのは、いやだ。君にだってあるはずです。優しさの心根を、よもや胎に置き忘れていやしないでしょう」
「…………さあ、どうだか?」
#ないものねだり
好きじゃない。
これが、「好き」なわけが無い。
ヘドロみたいな色と粘性
吐瀉物混じりの饐えた匂い
誰もが眉を顰めるソレ
そんなものを、ズルズルと、今日も、引きずって。
今日は殺せるか、明日こそは殺せるだろうか。
確かめる度に、足首を掴まれて、血反吐の海へと沈んでいく。
自分は良くても、他人の嘲りは決して許せない。
他人は良くても、自分だけは決して許されない。
こんなのは嫌だ。
こんなものを「好き」にした自分が嫌だ。心底厭だ。
助けて欲しい。助けないで欲しい。
見て、聞いて、口を開いて、
目を閉じて、耳を塞いで、口を閉ざして、
何をしても、何をしなくても、分かるのは自分の形だけ。
ただ、思い知るだけ。
ああ、今日も捨てられなかった。
#好きじゃないのに
――明日の北部は晴れのち曇り。ところにより雨がパラつくでしょう。
「ここじゃなくて良くない?」
完全に油断した。
天気予報見てなかったわけじゃないけど、「ところにより」と「パラつく」は、もうほぼ傘の出番無しじゃんよ。
ご丁寧に、空はニンゲンの嫌がることが分かるんかってくらいドンピシャ下校時間。
まあ、傘さすほどじゃないのがせめてもの救いかな……。
そういえば、この「傘さすほどじゃない雨」が都会人には通じないらしい。
進学で都会に出た従兄弟が、「傘さすほどじゃない」を発動したら「傘さすほどの雨ってなんだよ」って笑われたって話してくれた。
ウソじゃん。分かるでしょ、何となくさあ。
「はあ……」
こうやってグダグダ考えてるのも、パラつく雨が止まないかなって粘って見てるだけで。
心なしか雨足も弱くなった気がする。いや、弱くなってる。きっと弱くなってる。
昇降口で立ちっぱの自分に傘を差し出してくれるイケメンも美女も居ない。
せめて自分だけはと、ここ以外の「ところにより」を食らってきっと同じ目に遭ってる可哀想な人間に思いを馳せつつ、濡れたコンクリートに一歩を踏み出した。
#ところにより雨