通学路、私達は、向かい風に立ち向かってどんなに風に押されようと笑顔で家へと歩いていた。
楽しかったあの日々。
今は、風に身をまかせている。
その先は一体どうなっているのだろうか。
ただただ、苦しい。
風に身をまかせ
時間に固執してこなかった私は、いつしか生きている時間に意味を見出そうとしていた。
時間を費いやしてまで失った時間は、私の人生に多大な影響を与えた。
生死の価値観、理由や意味、人間の本質などを知ってしまった。
決して正解ではないけれど、自分の中では腑に落ちた。
それから、数年前に起こった嫌な記憶は、忘れようとしても、私達にトラウマという形になって思い出させてくる。
もう、過去の事なのにそれに固執させ続けられる人生だ。
理不尽な頭をしてある。
失われた時間は、もう取り戻すことは出来ない。
取り戻すことは出来ないのに、追い続けるのが人間として正常な生き方なのだろうか。
失われた時間
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失われた時間を取り戻そうとしても無駄だよ、と私からは言っときます。
取り戻そうとするんじゃなくて、掴めばいいんですよ。
掴み方は、そうですね、自分で考えてみてはどうです?
私は、子供のままでいたいなんて思った事がなかった。
早く大人になって自立して、お金を稼いで、好きな事につぎ込んで、一人でのうのうと生きていたい。
社会的地位においても、子供は大人よりも下の地位にいる。有利なのは大人の方だ。
いつでも、力なのない子供を力のある大人が押さえつけてしまう。
子供の立場は、まだ大人と云うものを体験してない位置にある。
大人の考え方、価値観を押し付けてくる大人、私はそう言う人間が大嫌いだ。
そんな事をされると、生きている意味が分からなくなってくるからだ。私は私の考え方がある。子供は子供でも考えている事は、大人よりもいい考え方を持っているかもしれない。
私はそんな可能性を潰す大人達が許せない。
その癖、早く大人になりたいと思う処、私は根っからの矛盾製造機らしい。
そもそも、私が言いたい事は、子供とか大人とかそういう区別されるのが嫌いだと言うことだ。
本音を言うと、考えることが単純な子供になりたかった。生きる意味とか考えない純粋な子供になりたかった。
馬鹿していたあの頃みたいに
子供のままで
いつも通ってた階段で話をしたっけ。
どっちがあの子と遊ぶかって話し合ったな。仲介者は、あっちの子の味方をしたよな。あいつら許さないからな。
諦めちゃった。そこで三人の縁が深まったけれど、私は孤独になったな。
そうそう、男の子三人に無理やり男子トイレに引きずり込まれそうになったこともあったな。
半ズボン履いてたから膝がずり剥けそうだった。
あーあと、教科書の間に挟まれた手紙。あいつが急にランドセル漁ってきて、これ開けていい?とか聞いてきて開けたら、暴言で沢山埋まってたよな。
見た時衝撃的だったし、何も言葉を発せなかった。あいつは、ひどい、やばい、とか言ってたけど、筆跡が完全にお前だったよな?
その後、先生達も有耶無耶にしたし、人間が信用できなくなった。
あれから、もう男友達とも話しずらくなっちゃって、完全な孤独になったな。
そんで、不登校になって二年生頃にだったっけ。
一階から飛び降りたんだよな。落ちたくないからしがみついてたけど、結局力が抜けてきておしりから落ちちゃったよね。息がまともに出来なかった。
痛かったなー。推しの配信開きながら大泣したな。
今でも親は知らないけど、死ななくて良かったな。
世の中の人間は、過去は過去だって言うけどさ──
こんなもん、どうやって忘れんだよ
忘れられない、いつまでも
一年後も変わらず私は、数学に苦しむだろう。
一年後も変わらず私は、人間関係に苦しむだろう。
一年後も変わらず私は、考え続ける自分に苦しむだろう。
決して、納得出来る一年後ではなくとも、自分が納得できるまで、私は生き続けるだろう。
一年後