週末は、《加熱式たばこのにおいに耐える日》と認定されてしまった。
においにも音にも光にも敏感な私だが、たばこのにおいはずば抜けて耐えられない。
おしゃれアイテムなのだろうか、最近加熱式たばこを吸う人の割合が増えてきた気がする。
独特の臭いに頭が痛くなるのだが、それを言ったところで「神経質すぎる。」とムッとした顔をされる。
たばこを吸った後に話しかけられると、気絶しそうになる。
口臭の攻撃威力に勝てる物は、そうそうない気もする。
身体の心配をして、やめたらどうかと提案した時もあった。
しかし、「加熱式たばこは害がないから。」と浅はかな知識をダラダラと披露してくるから、もう何も言わないことにした。
ただ、お願いだから、頼むから口臭をどうにかして欲しい。
吸い続けるのなら、礼儀として口臭緩和の努力を怠らないでほしい。
そして、毎年当たり前のように肺がんドックを受けている矛盾に、気づくべきである。
『また会いましょう』
「また来ます」と言ったものの、行くのをやめて5年は経った気がする。
心のしこりが取れて、「もう大丈夫。また会いに来よう。」と思って別れたはずだった。
それなのに、時間が経つと「またやられたか。」とふつふつと怒りが湧いてくる。
私が自分の気持ちを伝えると、「あなたのためを思ってやった事なの。気に障ったのね。」と泣きながら答えるあの人に、何度騙されたことか。
あなたのためにという言葉と涙に、本当に私を思って言ってくれたんだからと、自分の考えが間違っていた錯覚をする。
しかし、そのふたつの言動が『こういう人から逃げろ』と言われている事も最近知った。
どういう人から逃げろって?。
それは、母と姑。
全く同じやり口を2人ともし続けたおかしさと、そうでもして味方が欲しかった哀れな女たち。
逃げてからは、随分と生きやすくなった気がする。
もう2度と会わない。
この世では…。
『意味がないこと』
万人に好かれようとか仲良くしたいとか、全くの無意味である。
学校で、職場で、自分が生きている圏内のみんなと仲良くしたい、嫌われたくないと努力するなんて、時間の無駄だ。
とわかったのが、数十年経ってからだった。
別に嫌われてもいいし、迎合しなくてもいい。
その方が、楽に生きられる。
思慮が浅く、言葉を知らず、感謝することを知らない人と我慢して付き合うことは、無意味でもったいない。
100年程度の人生を、意味がないことに使いたくはない。
飼い犬のような私がそんな風に思っていることとは露知らず、あなたは今日もお元気で何よりです。
昨日から、なんだか嬉しくてたまらない。
今年の1月に、庭に来ていた猫を保護した。
その子が、やっと少しずつ触らせてくれるようになったのだ。
なんで、今なの?。
撫でると、ゴロゴロ喉を鳴らしている。
それが愛おしくて、触れたい衝動と常に戦いながら、名前を呼んで話しかける。
保護してからずっと、話しかけてきた。
今日は暑いから、お水も飲まないとダメだよ。
ごはんがあまり減ってないよ。ふりかけをかけてみようか?。
寒くなったね。こたつを買ったから、ここにおいでよ。
触らせてくれないけれど、私の顔を見て話を聞いてくれている。
それだけでいい。
外で過酷な生活をしていたであろうあの子が、私の家族の仲間入りをしてくれて、私を世話係と認めてくれるのなら、充分だ。
ようこそ、我が家へ。
『柔らかい雨』
柔らかい雨が降ると、そこらじゅうから匂いがする。
アスファルトが濡れた匂い、土が濡れた匂い、雑草が濡れた匂い。
家の中にいても、それらの匂いを感ずると「雨が降ってきたんだ。」とわかる。
しかし、最近は柔らかい雨が降らなくなった。
いきなり降る雨は直ぐに豪雨となり、匂いが発する瞬間さえ与えない。
雨の音が怖くなった気さえ、するのである。