僕はスーパーでアルバイトをしている。バイト先で小さい子が僕に質問してきた。「なんでそんなに箱を開けているの?」となにも考えず適当に生きてどうにかなってきた僕には眩しすぎる笑顔で。「これが僕のお仕事なんだよ」と返すとその子は「なんだそれ〜!」と笑いながら母親の元へ走って行った。単に箱を開けているだけではなく商品を陳列したり在庫を引っ張ってきたりと細かいことはあるが端的にわかりやすく伝えるならそうなってしまった。誰も悪くない。ただ、僕はその純粋な答えに少し羨ましく思い同時に悲しくなった。誰のことも疑うことなくただ一瞬の無いに等しい出来事に過ぎないがすぐにその思考になって笑えるその子の瞳はきっと澄んでいる。戦隊ごっこをしながら走り回るのもお母さんを探して大きな声で呼ぶのも勝手にお菓子をカゴに入れたりして怒られるのもカートを押していたりするのもその思いはきっと純粋でちょうど良い雲の量の青空が広がっている気がした。僕は濁っているけど日差しの強い冬。
澄んだ瞳
嵐という程の気象には出会った記憶が無いけど、僕は傘を差すのが下手だから傘はあまり刺さない。リアルに3,4年は差した記憶が無い時期がある。だからちょっとした大雨でも僕は嵐に感じていた。朝イチから雨が降っているのにずぶ濡れで教室の扉を開ける僕にみんなは「傘どうしたん?」って聞いてくるから僕はいつも「家に忘れた笑」と言って自分のタオルで頭を拭く。傘を差すのは好きじゃないし傘のせいでいつもの道が2,3人通ろうとするだけで通りずらくなるのが嫌いだし帰りの時間に雨予報だから持っていって降らないのがとっても嫌いだから。ただ、濡れるのは嫌いじゃないし何より一緒に濡れながら水たまりにダイブして飛沫を飛ばしたり水たまりの前で手押し相撲したりあっさい水たまりでクロールの練習したりするのが好き。心が中学生のようなバカなままで許される時代に置き去りにされている。嵐のような静けさとかでしか嵐なんて聞かない。
嵐が来ようとも
提灯が照らす明かりのにぎやかな場所へ大切な日にするために少し前から僕の心は祭りのような騒がしさが駆け巡っていて、日が経つにつれ思考はそれになり全てがそれに依存する。そんな人たちやあんな人たちで溢れている騒がしさの中に独り静かに心を荒らげながら鎮める勇者も終わりの有象無象に紛れ込みただひたすらにそれを思い隠してその余生を終える。楽しいだけで終われない騒がしさを拡声器越しの警備員の「ゆっくりお進みください」だけが、天啓のように勇者には聞こえ鉛と少し水の入ったいろはすを3階に引き連れ、軽くない空気を吐きながらつま先を天井に向ける。泣いた
お祭り