チャレンジ75(踊りませんか?)
小学校のPTA活動が縮小している。保護者が学校に集まることが難しいため、仕方ないことかもしれない。
私の子供時代には、運動会や授業参観に、父親が参加することは少なかった。そこで父の日に設けられた行事が、父子のフォークダンスだ。恥ずかしさもあって、運動会よりも参加者が少なかった。子供会の役員とPTA会長は、かなり困っていたらしい。昔も今も、保護者の協力を得るのは難題のようだ。
チャレンジ74(巡りあえたら)
宝くじを10枚買った。実家の父と、半分ずつ分けて持っている。当せん発表まで、わくわくした気持ちを分かちあう。夢を見られる。もし、仮に、当せんの喜びに巡りあえたら。両親と美味しいものを食べよう。くじ運は、巡りあいだ。限りなく遠い願いだ。
チャレンジ73(奇跡をもう一度)
奇跡は夢の中にしかない。夢を現実にできる人は、努力の人である。私のようなナマケモノは、夢が夢のままで終わる。こうなったらいいなと願うだけで、行動が伴わない。だから、奇跡を願うのは虫のいい話である。
ここからは、睡眠中に見る夢の話だが、奇跡のような内容は心地良い。自分がオリンピックに出場する夢を見た。いい所で目が覚める。奇跡をもう一度、とはいかないものだ。やはり、夢は夢のままが良い。
チャレンジ72(たそがれ)
この言葉が似合うのは、あと1ヶ月くらい先ではないだろうか。秋の深まった頃か、初冬を想像する。枯れ葉の舞う道。傾いた日差しは弱く、行き交う人の影が長く伸びる。風が冷たくなる晩秋か初冬の夕暮れ。それが、たそがれだと思う。季節を問わず、一般的に「夕暮れ」の意味だとしたら、私の勉強不足です、すみません。
チャレンジ71(きっと明日も)
今年の8月は、ひどい風邪をひいた。体がだるくて動けない。階段を上ると足腰が痛む。仕方なく、リビングで眠ることにした。自分の部屋に戻れたのは、9月に入ってからだ。
きっと明日も変わらないだろう、そう信じていることが、予期せぬきっかけで崩れる場合がある。明日も健康だろう。少し無理しても平気だろう。ところが、残念ながら見込み違いが起きる。体からの無視できない警告。
体が動くありがたさを、普段は忘れている。気をつけなければ。しかし浅はかな私は、きっと明日からも見込み違いをするに違いない。