夏の朝、雀と鴉の二重奏(デュエット)の間隙にカッコウが鳴いている。まもなくセミの独奏(ソロ)が始まるだろう。玄関を開けて家に入ると弾力のある空気が「おかえり」と迎えてくる。大黒柱は額と頬の脂でツヤツヤしており、黄ばんだ半袖にプリントされた河童は釣り糸を垂らして出番を待っていた。夏の始まりは近い。
題『夏の気配』
「ふぅ...」。ひと息つく。
コーヒーを飲み、かじりかけのパンを口に放りこむ。
とりあえず午前中のノルマであった50人は終わった。
人は『〜へ!』と聞くとプラス思考で考えがちだ。現実に不満を抱き、自分が主人公の世界を夢想する。
いっそのこと、こう書き直そうか?
題『まだ見ぬ世界へ!』
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題『ようこそ!アットホームな世界へ!』
脳の想像力が豊かである内は何であれ声を聴くことができる。地球ですらゴミで溢れれば悲鳴をあげる。もはや何でもありだ。ここに書かれている文章も訴えているといえる。私の最後の声を聴きたいかい?なら今すぐ携帯の電源を切ってくれ。黒い画面から声はしないはずだ。
題『最後の声』
...なんだ、戻ってきたのか。もう営業時間外だ。シャッターを閉じるよ。最後の声は次の人に任せるとしよう。
「だいじょぶか?」
テレビを見ながらの反射的な言葉は、軽すぎて空気清浄機に吸い込まれるほどだ。顔を向けてもいなければ表情すらも変えてない。
電子機器の加工のパートと家事を負担する母。
「指が痛い」という言葉には鉄製のフライパン以上の重さがある。
代わりに炒め物をする。お皿を運ぶ。その場にいって無言で抱きしめて背中をさする。
言葉より行動に愛は宿る。
題『小さな愛』
世界はカラフルだ。雲の隙間から僅かに差し込む光。アルカリ性に染まった空。庭先では酸性の土壌が紫陽花を蒼く染めていた。
目の前に盲目のランナーがいた。早朝は彼らにとっても過ごしやすい時間帯だろう。迷いなき足取りには自信すら感じられる。空は誰にも等しくエネルギーを注いでくれる。
題『空はこんなにも』