雨に佇む
雨は嫌い、じゃない。何でもかんでも周りに合わせないといけないなぁとこの頃思う。初対面だったら何が嫌いなどというものは話題にしてはいけない。だされたものも嫌いであっても食べなくてはいけない。
凄く辛い時に傘をささなければどうなるだろうと雨に濡れた。冷たくてでもなんだか静かな気持ちになれた。
周りから見れば風邪をひいてしまうや、なにやってんだと思われる行動
でも実際は大した事なかった。風邪はひかなかった。
昔は好き嫌いが多いのが子供と言われたけれど、それは個性があったと思うのは私の間違いだろうか。
多分これも批判ばかりうける。周りにあわせられないのはバカのする事だとよく見かける。大人って子供の時と比べて自分が他人と似ているということをあまり自覚していない。よく何に当てはまる性格診断などというものがあるが、1億もいる中でその枠にハマっているという時点で自分は個性がない。
というように悪い言葉を吐けば私は批判ばかりうける。批判をうけていい対象だと勝手に認識される。
どうして否定的なことからはいる人が多いんだろう。
雨に濡れながらそう考えた。そこにいる間考えてみたけどやっぱりわかんない。例えば大勢の人が通る道でぽつんと立ったらきっと責められるのは私だろう。
迷惑をかける存在はいらない。
でももっと違う視点から見ればそこにいる人をも避ければいい
こんなことなんでしなくちゃいけないんだって思うけど私達にはそれができる。ちょっと左右に動くだけでいい。
これだと迷惑をかけたことになるのだろうか。
雨は何も気にせず降ってくる。けれどなくてはならない存在だ。立ち止まって考える。
どんな人も存在していい世界なんて一生実現出来ないことは分かった気がした。
雨はどこかで降っていてこの水は私達より生きているのかもしれない。
迷惑なんて言われる筋合いなんてない。
雨よはやくきてくれ、そして似たもの同士の人間が否定的な考えをするのを止めてくれ
と勝手に雨に願った。
次の日は晴れだった。やっぱり必要な人間だけが必要とされる世界が今日もきた。
いつも体操服を着ているクラスメイト。彼の家はお金があまりなかったそうだ。
いつも楽しそうにしていてみんなから愛されていた。
何より名前が常に胸に書かれていたので分かりやすかった。これにより名前のど忘れを防いでくれる事は私も感謝している。体操服を着ていた彼は間違われる事もなく提出物も落とし物も届く。
名前より体操服が先にでてくる彼は面白い存在。
という長所は全部彼から聞いた事だ。
つまりはどんなことにも長所があると改めて思った。
久しぶりに成人式で見かけた彼はスーツ姿だったが、やはり思い出すのは体操服の彼だった。
結局はやはり人間外より中身というが、卵を割って初めて二つの黄身が入っていたことが分かるように喋ったり関わったりして色んなことがわかる。
体操服の彼は長所を話すなり短所もいろいろな事を話してくれたがそれは一切覚えていない。なので衝撃を受けたことは忘れないもんだと思う。
裏返しという言葉は私にとって体操服である。焦げたパンケーキも裏返せば白いという事もある。どんなところにも長所があり、短所がある事は意外とみんな知っている。
というのはどうでもいい話で、面白くもなかった話かもしれないが365日体操服を着ていた彼の卒業式の日。ブレザーを反対に着ていた事は今でも忘れない。
というどうでもいい片隅の話であった。
さよならってもう会えないような気がするけれど、実際はどうなのだろう。
別れる時もあなたにさよならを言う私はもう会わないと気がついたから言ったのか、はたまたここで言えばちゃんとお別れできるから言ったのか。
死ぬ前に何か言う事があったかな、とか思うよりいい人生だったと走馬灯が駆け巡り最後にさよならを言いたい。
でも本当はさよならならなんて言いたくないと駄々を捏ねたいと思ってて欲しい。
だから。願わくば格好がつくくらいの人生にしたいなんて思ってる。
死ぬ時は笑ってて欲しい。でも実際は死にたくないって思っててほしい。でも格好はつけて死にたい。
矛盾だけど矛盾じゃない。
さよならは別れの挨拶であるけれど、きっと出会った証で印でもあるんだなと思う。
さよならを言う前にさよならを言えた相手がいたのなら、それはきっと
ありがとうという印のさよならだから。
馬鹿な私を看取ってくれたのはきっとさよならなんかかき消すくらい言葉を交わした相手で、
さよならを言う前に最後にあなたと一緒にいれて幸せだと感じることのできる相手だったら
どんなにかっこいい人生だろう。