「好きな本」
「大学から家まで1時間半かかるの。」
唐突に彼女は言った。
「まず大学の最寄り駅から1時間そのあとバスで30分。慣れたけどスマホばっかり見てるのも疲れるじゃん。だから本貸してほしいなって。ほら本たくさん持ってるってゼミで話してたじゃない。」
彼女はそう言ってから振り返った。綺麗なセミロングの髪がふわりと動く。
ゼミからの帰り道。同じゼミ生で電車通学は彼女だけだったので、駅の近くに住んでいる僕が送ることになっていた。
「良いけど、普段読んでいるのは女の子向けじゃないよ。」
「えっ?イヤらしい系?まあ、大丈夫だけど…」
僕の返答に彼女の声がちょっと楽しそうになった。
「違う違う!異世界ファンタジーとか近未来の宇宙戦争とかそういう…」
「なんだ、じゃあ問題ないじゃない。オススメ貸してよ。」
そうこう言っているうちに、僕のアパートの前に着いてしまった。観念した僕は、
「わかった。つまんなかったら読まなくていいから。」
そう言って鞄の中から本を出した。
「好きな作家の最新作。一応話題作だからハズレじゃないと思う。今日読み終わったから貸すよ。」
彼女の顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう!」
…ちょっと強引でも笑顔が可愛いなんて思ってしまうから彼女の頼みが断れないのだ。
次の日、朝からけたたましいチャイム。
彼女が本を持って立っていた。
「アクションシーン面白かった!王女救出のシーンが良かったわ!」
「楽しんだようで、何よりですね…ってもう読んだの!?」
「うん。今日の帰り読む本も貸して。君の好きな本が読みたいの。」
「俺が好きな本でいいの?」
普通は面白い本が良いと思うのだけど…彼女が好きなジャンルの本とか…そう考えを巡らしているのがわかったのか、
「もう!好きな人が好きな本を読みたいの!どんな事が好きなのか知りたいの!」
そう言う彼女の頬は少し赤かった。
彼女の突然の告白に呆然としている僕を見て彼女は言った。
「今日のゼミで持ってきてよね、好きな本。」
「あいまいな空」
夜中に目が覚めた。
しばらく布団の中でじっと丸まっていたが、眠りの波はやってくる気配はない。
そうしているうちに、周りの景色がうっすらと明るくなってきた。夜と朝の間。あいまいな時間。
仕方ないと家族を起こさないように体を起こした。周りはまだ夢の中のようで。
居間は低い音だけが冷蔵庫から聞こえる。普段はテレビの音や人の声にかき消されて気にも止めない音。
世界で動いているのは冷蔵庫と私だけになってしまったような気がしてカーテンを開けて外を見た。
朝焼けも見えない、薄い雲に覆われた空。
すっきりとした綺麗な青空でも、目が覚めるような輝く朝日でも、見ることができたなら気持ちも晴れただろうに。
逆に雨が降っていればパタパタと落ちる音を、窓を伝う雨粒の軌跡を楽しんだかもしれない。
はっきりとしない、あいまいな空。
まるで私の気持ちのようだ。
未来に希望を持てず、過去を引き摺り、ふらふらと今日を生きている。
いつか青空の様に晴れ晴れとした気持ちになるのだろうか…まだわからなくて、私はカーテンを閉めてキッチンに向かった。