大好きなあの子は年上のお姉さんが好きだって言ってた。自分じゃどうやってもあの子の好きな人にはなれないんだなって思いながら、線香花火がアスファルトに落ちるのを眺めていた。どうにかしてあの子の時間だけを止めて、自分の時間だけを進めることはできないだろうか。あの子の大好きな年上のお姉さんになって会いに行きたい。そしたら好きだって言ってくれるだろうか。
叶わないと思いながらも願いを七夕の短冊に認めたら、奇跡は起こった。眠りに就くとき確かに小学生だったのに、朝目覚めたら大学生になっているではないか。何度も夢ではないことを確認する最中、ふと鏡に映った自分はなぜか礼服を着ていてもしかして今日が大学の入学式なのかもしれないなんて浮かれた考えはすぐに砕けた。「ずっと仲良しだったのに残念ね。まさか病気がこんなに早く進行しちゃうなんて」お母さんが誰の話をしているのかわからなかったけど、お母さんに手を引かれるままについていくと、あの子のお家についた。黒い服を着た人たちがわらわらとやってきて、あの子のお家に吸い込まれていく。低い声のお経と線香のにおい。少しだけお兄さんになったあの子の写真には黒いリボンが施されている。お姉さんになりたいって願ったのに、あの子と今の自分の歳は然程変わらない気がした。時間だけが進んでしまったってこと? それよりも受け入れ難い事実が目の前で繰り広げられているのに平然としているのは、脳が理解を拒んでいるからかもしれない。知らない人たちが啜り泣く声が耳障りだ。あの箱の中にあの子が入ってるなんて絶対嘘だ。信じたくない。呆然と立ち尽くす自分の元にあの子のお母さんがやってきた。徐に口を開いたあの子のお母さんは「今まで息子と仲良くしてくれてありがとう、それとねこれは息子からあなたに渡してほしいって」と、嗚咽しながら辿々しく言葉を紡いで、あの子からという手紙を手渡してきた。
キャンパスノートを破ったであろう用紙に認められた文字は確かにあの子の字で涙が零れる。
ずっと好きだった。小学生のときイキって生意気に年上のお姉さんが好きだとか言ってたけど、あれ嘘。ごめん。あのときも今もおれが好きなのはお前だけ。おれバカだからさ、たぶん死んでもずっとお前のこと好きだと思う。もうすぐ死ぬくせにこんなの書いて渡したら呪いみたいで卑怯だよな。ごめん。本当ごめん。怖がらせてたらごめん。おれのことは忘れて。お前は病気なんかすんなよ。元気でな。
なんだそれ。なんなんだよ、それ。どうして嘘なんかついたの。あの子が自分と同じ気持ちならこんなに早く大学生になんてなりたくなかった。あの子が元気だった小学生の頃に戻りたい。ゆっくり流れる時間の幸せをどうして噛み締めることができなかったんだろう。だけど、だけどさ、仕方ないじゃん。好きだったんだよ、すごく。どうにかして同じ気持ちになりたかったんだ。その代償がこれなんてあんまりだ。きっとこの後悔はずっと忘れられない。いつまでも。
「一年経ったら今あるこの想いも忘れちゃったりするのかなあ」
氷菓を頬張りながらそんなことを言うこいつに俺は相槌のひとつも打ってやれない。
「一年経ったらとか言ったけど、もしかしたら明日にでも消えてる可能性あるよね。ほら、想いって移ろぎやすいし」
なんでそんな悲しそうな顔しながら終わりを紡ぐのか。どうすればいいかわからなくなる。どんな言葉をかけることが正解で、どうしてあげることが最善なのか。
「君はどうなの?」
「どうってなんだ」
「いやだからさ、一年後も変わらない想いとか、そういうのあるのかなあって」
「変わらないのは無理だ。だけど、たぶん今よりお前のことを大切に思う気持ちが大きくなってるとは思う」
「なんだそれ」
困ったようにも嬉しそうにも見える微笑みが夕闇に溶けた。今夜もしも星が流れるのなら、一年後もこいつと今みたく氷菓を食べながら他愛無い話ができますようにって願おうと思う。
ろくに観もしないのに垂れ流しているテレビからなにやら不穏な文言が聴こえてくる。作業を止めてテレビに注視すると速報と大きく表示され、テロップで文字の羅列が流れていく様が映し出されていた。
“明日、世界が終わります”
悪ふざけの過ぎた冗談でしたと言われても疑わず信じてしまいそうだなと思うのは、やけに無表情なアナウンサーがひたすらそれを繰り返しているからだ。そこだけ切り取れば、ドラマの再放送が放映されていかのように思える。しかしその線はかなり薄いだろう。なぜなら画面の左上に時刻が表示されているからだ。その時刻はスマホに表示されている時刻と同じものだった。仮にドラマの再放送だったとしてもここまでの偶然なんて起こり得るだろうか? それにしても世界の終わりを知らせるニュースなんて誰かの空想上の出来事だと思っていたけれど、現実として起きてしまうのか。やはり現実性がない。他のチャンネルはどうだろうかと思って変えてみると同じように世界の終わりを知らせていたり、局によっては放送中止中の画面が表示されていた。
自分は夢の中に居て、すべて夢が見せているものではないかと疑い、頬をつねってみると痛みが鮮明に走った。やはりこれは現実で、ニュースで流れている話は本当なんだと案外冷静に受け入れることができた。そんな自分自身を奇妙に感じたけど、それは冷静というより諦めに似た感情と言った方が正しいかもしれない。
世界が終わるにしても、終わらないにしても、どちらにせよ生活を止めることはできない。
だから何事もなくこのまま世界が終わる瞬間まで生活を続ける。
そもそも終わるって具体的にどういうことなのか。隕石的なものが落ちてきて終わるとかそんな感じなんだろうか。終焉をアナウンスするだけで、その詳細は一切明かさないなんて恐怖心を増長させて余計に混乱してしまうのがわからないのだろうか。いやわからないはずない。テレビはいつも正しくなければならない。防げる見込みがあるのなら精一杯の嘘を突き通すだろうけど、今回に限っては防げるとか助かるとかそういう希望が全くないのだろう。しかしこのアナウンスで混乱した者たちが争いを始めれば、世界が終わる前に人類が滅亡してしまいそうだ。今も近くで怒号と鳴き声、爆撃みたいな衝撃音が聞こえてくる。
隕石的なものの落下物によってこの世が終わるとして、落下物を確認する間もなく意識というか自分という存在そのものが塵と化すのならそれでもいい。痛みを感じるような命の終わりでなければ、なんだっていい。終わりを回避できないなら、せめて痛みを感じずに終わってくれないだろうか。
“繰り返します。明日、世界が終わります。皆様、どうか、悔いのないようにお過ごしください”
相変わらずアナウンサーが淡々と言葉を垂れ流している。冷め切った表情からは感情の違いを一ミリも読み取ることができない。おそらく自分と同じように諦めに近いものをその裡に抱えているに違いない。非日常の中で日常を生きる己に、それを強要する社会に辟易としているのだろう。とは言っても真理は定かではない。所詮は画面に映し出されて見えているものだけの情報から形成した推測であり、アナウンサーの真の気持ちはアナウンサーにしかわからないことだ。
世界が終わるというイレギュラーが発生しても自分願いが叶うという奇跡は起こらないようだ。
そういう不甲斐なさというか当たり前の不幸さはこの世の理に沿っていて気に食わない。
それともイレギュラーが発生したことによって自分の願いが叶わなくなってしまったのか。どちらにせよ明日には全て消えることを女々しく掘り下げても意味がないことだ。そう思いながらも、一応、世界が終わる前に存在が不明瞭すぎる神様とやらに願いを伝えてみることにした。
もしもまた世界が生まれるとして、僕も僕として生を受けることができて、あの子もあの子として生を受けることができたのなら、今度は死ぬそのときまで僕をあの子の隣に居させてください。
さすがに大層すぎる願いだろうか。けど、世界が終わってしまうのなら大層な願いを掲げることを許してほしい。
終わりの瞬間いや自分の存在が消えてなくなるその瞬間まで、この願いを胸に浮かべていたい。もう他のことを考えなくていいなら、この願いだけを。
「またいつか」があるのなら、あの子の隣に。それだけを、それのみを、強く願いながら残された時間の中でも生活を続け、夜なったら夢を見て、この世界の終わりを静かに待つ。