不恰好なダンスを
退屈だ。
人知れずため息を吐いて、私は一人、グラスを傾けた。
ディスコの隅に設けられたバーコーナーは、中央の喧騒とは隔絶された世界のようだった。
一緒に来た友達は、今や人混みに紛れ、どこに居るのか分からない。
少し前まで新鮮で夢のようだった、チカチカとカラフルにまたたくライトも、お腹の底まで響く音楽も、何だか馬鹿げたものに思える。
いつも私はこうだ。"ノリ"に乗れない。いつも冷めた目でもう1人の私が見つめている。その視線に気づいた瞬間、それまでの熱狂も興奮もひどく恥ずかしいもののように思えてしまうのだ。
もう一度小さくため息を吐いた。その時、
「そんなに退屈なら、俺と踊りませんか?」
そんな声と共に、目の前に手が差し伸べられた。
軽薄な見た目にそぐわない、純真な光をたたえた瞳が印象的な男だった。
変なやつ、だと思った。それと同じくらい、面白そう、だとも思った。
差し出された手を掴もうと手を伸ばす。
そこで、また冷めた視線に気づいてしまった。
もう一人の私は言う。「あなたらしくないよ。」
宙ぶらりんに彷徨う私の手を見て、彼は笑った。
「大丈夫。」
そう言って、強引に手を掴む。そして中央へ導く。
踊ることなんて、中学校の運動会以来かもしれない。
頭で思った通りに腕は動かず、リズムからワンテンポ遅れる。足はもつれて、きっと見苦しい。
けれど、ここでは不恰好なダンスでも充分に思えた。だって、周りを見渡しても、誰一人同じ動きをしている人がいないのだ。きっと正しい振り付けなんてないのだろう。ただ音楽にだけ集中して、思い思いに踊っている。
妙な高揚感を抱え、男を見る。
彼もまた、私を見ていた。あの純真な視線で。
スポットライトに照らされて次々と色を変える彼の瞳。そこに映った私は、くしゃくしゃの笑みを浮かべていて、とても綺麗だった。
私はずっと待っていたのかもしれない。こんな風に、誰かが強引に手を引いてくれる時を。
ワンルーム
お焼香の匂いがまだ鼻に残る深夜。
体は疲れ切っているはずなのに少しも眠くならない。
汗で蒸れたスーツの上着を脱いだ。既にぐしゃぐしゃのそれを見て、この部屋に帰ったのは何分、いや何時間前のことだったろうか、と思う。
ワンルームに一人きり。君は一昨日から帰ってこない。
そして、「ただいま」も「おはよう」も、ささいな喧嘩の声さえ、もう響くことはない。
眠ろうと目を閉じても、さっきの光景ばかりが浮かぶ。
君によく似た眼差しのお母さんの赤く腫れた目元。
いっつもしかめっ面で怖かったお父さんが小さく見えたこと。
やけによく通るお坊さんの読経。
嫌になるほど鮮明に思い出せるのに。
どうしてか、君の顔は思い出せない。
ふと床を見ると、長い髪が落ちているのに気づいた。
そっと掴む。少し色素の薄い、君の髪。
そう気づいた時、思い出が頭をよぎった。
先を行く君が、髪を柔らかくたなびかせ、振り返る。
歩みが遅い僕を、ちょっと怒ったように呼ぶ笑顔が好きだった。
もう君は少し先で待っていてくれない。どんなに僕が急いだとしても、君に追いつくことはない。
分かっている。でも。
この髪のように、どんなに細い糸でもたぐって、また君と巡り会えたら。