前回に続き、長くなってしまいましたが、読んでいただけるとありがたいです。
人の怖さはどこなのでしょうか。
心を許した相手。それは、本当に信頼している親しい相手のことを指す。その相手は、それぞれで異なる。彼女だったり、幼馴染だったり。
でも、心を許した相手が、自分のことを、心を許した相手と思ってくれているのかな。
心と心が通じている、なんていうけど。人は、本当の心はさらけ出すもんじゃないと、それぞれわかってるんじゃない?
自分の心は、自分のものだと。本心は、相手に教えてない。
心を許した相手も、心と心が通じ合っていると思っている相手も。本当の心なんて、さらけ出してないんじゃない?
相手のことが全てわかるつもりでいる人。相手に自分の心を全て伝えている、なんて言っている人。
本当は、あなたや、相手の、本当の心は、なんて思っているんだろう。
人と人の、心と心。相手を全てわかることなんて、叶うことじゃない。ましてや、全てを知ろうなんて、できないし、相手も望んでない。
心と心が繋がってる。心と心を許し合ってる。それは、本当にそうなのかな。人と付き合う上で、怖いのは、ここだと思う。
相手の本当は、なんて気持ちなのかな。
長いけど、どうか読んでいただければ幸いです。これを読んで、苦しむ人が、少しでも減りますように。
人が子供の頃から身につける能力って、なんだと思う?
知識?運動能力?それより、もっと早く身につけ始めるもの。
何でもないフリ、だよ。
子供って、吸収能力がすごいから。大人が「何でもないフリ」をしてると、すぐに覚えちゃう。それを、ずーっと見てるから、あたかも自分のもののように、癖になった状態で歳を重ねていく。
何でもないフリって、周りの人が気づいてあげないと、とっても苦しい。それを、僕は知ってる。なのに、もう癖になっちゃってるから、苦しいとわかってても、やっちゃうんだよ。
「大丈夫だよ」ーーー苦しいくせに
「手伝わなくても大丈夫」ーーー大変なくせに
「僕なら平気だよ」ーーー助けて欲しいのに
こうやって苦しんでる人は、君の周りにいないかな。気付いてあげられたら、手を差し伸べてあげて。絶対に、無理をして、苦しんでいるから。
もしかしたら、君が苦しんでる本人なのかな。
何でもないフリなんてして、自分をいじめるのはもうやめてあげて。周りに、助けを求めてもいいんだよ。
「苦しい」「大変だよ、手伝って欲しい」「助けて」
まずは一言。言ってみて。みんなが助けてくれるよ。
自分が助ける。なんて正義感にとらわれないで。
でも、助けてもらう癖は、つけちゃいけないよ。助けて、助けられて。そんな関係を築くことができれば、一生ものの仲間ができて、人生も、苦しくないと思うんだ。
仲間
人は、仲間がいるから、輝ける。
どんなふうに?
仲間と比べる。自分が上に立って胸を張れる。
仲間と一緒にやる。みんながやるから、自分も同じことをできる勇気が、簡単にでる。
仲間となぐさめる。すぐに悲しみなんて吹き飛んでしまう。
仲間がいなかったら、あれもこれも全部できない。
自分が輝く瞬間。それは、仲間と比べることができるから、自分が輝いている、ということ。
それは、逆に言ってしまえば、自分が輝くことで下に見られる人もいるってこと。
それを使って、「いじめ」や「差別」をする人がいる。
あぁ、人はなんて悲しいのだろうか。
仲間と一緒にいないと輝くこともできないし、
勇気なんて少しも出ないし、
悲しみをずっと引きずってしまう。
なのに、仲間を傷つける。大切なものって、大事にするもんじゃない?だから、大切なんじゃないの?なんで、「仲間」という大切なものを傷つけてしまうの?
この世は、美しいと感じる人がいる。それは、この世を美しいと感じていない仲間のすべてと、比べているからではないのか。そうやって、考えて欲しい。
みんなは、誰と手を繋ぐ?
家族?友人?はたまた、恋人?
あぁ、あぁ、幸せなもんだ。え?普通だって?いやいや、普通なわけあるか。
確かに、僕たち日本人は、日本が平和な国だから「普通だ」なんて言えてんだ。今のウクライナとかは、「銃の持ち手」と手繋いでんだよ。もしかしたら、家族も、友達も、恋人も、全員いなくて。安全に繋げる、誰かの手を探してるかもしれないんだよ。
な?俺たちは幸せなんだよ。そこんところ、自覚をしないと。世界平和?多文化共生?そんなん叶うはずがないんだ。
いま、当たり前にできてることは、人のぬくもりに、当たり前に触れられることは、幸せな証だと。早く気付いてくれ。そして、もし、そんな人々が周りにいるのなら、手を差し伸べて欲しい。
これを読んでくださっている方々にも、理解して欲しい。あなたが今、安全に、親や恋人の存在に会えているのなら、それは幸せなことだと、特別なことだと。
最近、人は言葉の重さを理解していない。それをすごく感じる。
簡単に「死ぬ」だとか、「ばか」だとか。本当の意味は、どれだけ恐ろしいものか。最悪、人を殺す凶器になってしまう。
これは、ありがとうや、ごめんねという言葉にも言える。
今、誰かに感謝をしたね?それは、心のこもった、「ありがとう」なのかな。
今、誰かに謝ったね?それは、心からの「ごめんね」なの?
言葉には、すごい力がこもっている。だからこそ、取り扱いに気をつけなければいけない。
もっと言えば、そのすごい力を、上手に使えるのなら、力で決める戦いなんて、なくなってしまうだろう。
今、人が進歩させるべきなのは、他の人を傷つける兵器ではなくて、今の人々の、言葉の取り扱いなのかもしれない。