「部屋の片隅でうずくまっている人がいる。」
なんていう描写がある。上のような文を読んで、みんなは多分こう思う。
「あぁ、学校でいじめられたのかな。」
「悲しいことがあったのだろう。かわいそう」
じゃあ、それが動物なら?(例えば猫)
「警戒してるのかな」
「怖がってるね」
じゃあ、それが、『ほこり』だったら…?
「汚い」
「埃っぽい。掃除しろよ」
人は、部屋の隅にあるものが何かによって、連想する考えが異なる。生き物には、心配をかけて、寄り添おうとするのに。生き物じゃないとなったら、違うのですか?
これは、人の心の中に、差別の心があることを表しているのではないのだろうか。
なんで、人って逆さまなんだろう。
人は辛い時、周りのみんなに「大丈夫」っていう。
人は苦しい時、周りのみんなに明るく振る舞う。
人は泣きたい時、何事もないような態度をとる。
ほら、全部逆さま。なんで、逆さまにするんだろう。
ーーーそれはね、弱みを見せたくないからなんだ。人は、弱みを見せることを、恥ずかしいと思っちゃう。そんな事、あるわけないのに。
人に弱みを見せても、大丈夫だと、みんながわかることができたのなら、この世界の人々は、助け合うことができて、平和になれるのかな。
人は、眠れないほど、「なにか」を考える。
その「なにか」は、人それぞれ。
だけど、眠れないときに「なにか」を考えることは、好きな人を考えることと同じだと思う。
好きな人を考える時は、いつ?それは、大切な時間も、休憩中も、すべての時間に考えてる。四六時中。そうでもないと、好きな人とは呼べないから。
眠れない時に、「なにか」を考えるってことは、大切な寝る時間が減ってくけど、「なにか」を考えてるってこと。それは、同じことなんじゃないかと思う。
だからなんなのって感じだけど、僕はこれが、人を好きになるとき、考え事をする時に、すごく大切に思えて仕方がない。
冬華(トウカ) 2
夢はいいもの。自分の好きなように動けるし、自分の好きなことを、好きなだけできる。
だけど、現実は違う。動くのにも限度があるし、自分の好きなことをやるにも、限度がある。
いつもどこかで、汚い言葉が飛び交って、犯罪が起きて、争いが起きて…現実は苦しい。死にたくなってしまうこともある。
でも、悪いことだけじゃない。好きなことをやっている時に、「楽しい」と、何かを達成すれば、「嬉しい」と、そう思えるから。その気持ちがあるから、僕たちは現実をいきるんだ。
そんなことのために、僕は今日も現実を苦しむ。
冬華(トウカ) 1