帽子かぶって
幼稚園の頃、どうしても帽子を被りたくなかった。頭にのせる、頭を締め付けられる、それだけで全身を縛られてる感じがしたからだ。
母親はいつも帽子をかぶっていた。
何故か。年をとってようやく分かった。
最近帽子をかぶるようになった。
あれ程嫌いだった帽子。夏も冬も。
恥ずかしさと心細さと寒さと…。
髪の乱れを隠し、ふわっと包む安心感と、冷たい風から耳まで温めてくれる帽子。
今では外に出る時はお守りのようにずっと私に寄り添うように。
今日も私は帽子をかぶって…。
わぁ!
ある正月の夜の事である。
同級生数人と家族全員集まってご馳走を食べ、子供達はあちこちで遊び回っていた。いつものゲームや紐引き大会、でもいつもいるはずの息子の姿がない。付き合いがあり来られないと連絡があった。彼が居ないだけで何か忘れているような感覚になる。それでもあっという間に時間は過ぎた。そろそろと重い腰を上げかけたその時である。
バン!と扉が開き、全裸の息子が入って来た。丸いお盆を股間に当てて踊りだしたのだ。
わぁお!
全員驚きと恥ずかしさと嬉しさの混ざった悲鳴が響き拍手喝采となった。
サービス満点の優しい彼はこの為だけに家に寄ってくれたのだった。
自慢の…息子である。
やさしい嘘
私は正直で思った事を言ってしまう。それが天然で裏がなくポジティブな事であれば自分も周りも平和なのだが…。
振り返ればいつも自分の心のままに生きて来た。我慢できない性格なのだが、それは我慢を強いられ耐え忍ばなければ生きられなかった若い頃の反動ではないだろうか。好きに出来るとわかってから、自由で良いのだと解った時から、嫌なことはしない。…と、思っていても生きていれば嫌なことは次々とやってくる。
心と裏腹に結局自分に嘘をついて本当に正直に生きたことはあったのだろうか。
家族に嘘はいけないと何度も言ってきたことも嘘くさい。全員何らかの嘘をついていることはたぶん、皆気づいていると思う。その中には思いやりのやさしい嘘もあるだろう。
その事を責めはしない。生きる為には必要な事だ。
一生そばにいるよ…も、愛していると言った事も…いつか一緒に旅をしようと言ったことも…。
2人が一緒に生きていく為のやさしい嘘だったんだろうか。きっとその時は信じていたんだよね。無理にでも信じようとしたんだと今ならわかる。言葉にしないと、嘘でも伝えないと、あっという間に消えてしまう運命だとお互いわかっていたから。
瞳をとじて
悲しくなると瞳を閉じる。何も見たくない、全てをフリーズさせる。
嫌な事を思いだすと瞳をとじて、考える。ちゃんと考察して反省するべきか、忘れてしまうべきか…。
あまりないけど、嬉しかった事を思い出したとき、自分が気づかなかった思い、さり気ない言葉の裏側、何も考えないでただ喜んでいた浅はかな自分に悲観して瞳をとじる。
とじた瞳の中に貴方を探す。
怒らないで優しく諭して…。
静かに話を聞いて笑って…。
若いままのあなたがそこにいる。
瞳をとじると私とあなたの2人きりの世界がそこにある。
あなたへの贈り物
あれから私は仕事を辞め家に引きこもりました。
もう傷つくのも傷つけるのも嫌だから。
でもやりたいな〜って事は沢山やってきた。昔からの憧れのピアノ始めたり、自分の思い通りの器も作ったし…。旅行だって遠くまで行った。
もう思い残すこと無いくらい。
ただ人間関係は無に等しい。
もちろん近所付き合いは愛想よく真面目に。昔馴染みとはそれなりに。
家族とはギリギリなんとか。
つまんない?ちっぽけ?吹けば飛ぶ?
それが私。本当の私の現実。
だから何も贈ること出来ない。
何も残っていない空っぽな私。
そんな空っぽな飾り1つ無い裸の私を贈ります。もらってくれますか?
それでも愛していると言ってくれますか?