わぁ!
ある正月の夜の事である。
同級生数人と家族全員集まってご馳走を食べ、子供達はあちこちで遊び回っていた。いつものゲームや紐引き大会、でもいつもいるはずの息子の姿がない。付き合いがあり来られないと連絡があった。彼が居ないだけで何か忘れているような感覚になる。それでもあっという間に時間は過ぎた。そろそろと重い腰を上げかけたその時である。
バン!と扉が開き、全裸の息子が入って来た。丸いお盆を股間に当てて踊りだしたのだ。
わぁお!
全員驚きと恥ずかしさと嬉しさの混ざった悲鳴が響き拍手喝采となった。
サービス満点の優しい彼はこの為だけに家に寄ってくれたのだった。
自慢の…息子である。
やさしい嘘
私は正直で思った事を言ってしまう。それが天然で裏がなくポジティブな事であれば自分も周りも平和なのだが…。
振り返ればいつも自分の心のままに生きて来た。我慢できない性格なのだが、それは我慢を強いられ耐え忍ばなければ生きられなかった若い頃の反動ではないだろうか。好きに出来るとわかってから、自由で良いのだと解った時から、嫌なことはしない。…と、思っていても生きていれば嫌なことは次々とやってくる。
心と裏腹に結局自分に嘘をついて本当に正直に生きたことはあったのだろうか。
家族に嘘はいけないと何度も言ってきたことも嘘くさい。全員何らかの嘘をついていることはたぶん、皆気づいていると思う。その中には思いやりのやさしい嘘もあるだろう。
その事を責めはしない。生きる為には必要な事だ。
一生そばにいるよ…も、愛していると言った事も…いつか一緒に旅をしようと言ったことも…。
2人が一緒に生きていく為のやさしい嘘だったんだろうか。きっとその時は信じていたんだよね。無理にでも信じようとしたんだと今ならわかる。言葉にしないと、嘘でも伝えないと、あっという間に消えてしまう運命だとお互いわかっていたから。
瞳をとじて
悲しくなると瞳を閉じる。何も見たくない、全てをフリーズさせる。
嫌な事を思いだすと瞳をとじて、考える。ちゃんと考察して反省するべきか、忘れてしまうべきか…。
あまりないけど、嬉しかった事を思い出したとき、自分が気づかなかった思い、さり気ない言葉の裏側、何も考えないでただ喜んでいた浅はかな自分に悲観して瞳をとじる。
とじた瞳の中に貴方を探す。
怒らないで優しく諭して…。
静かに話を聞いて笑って…。
若いままのあなたがそこにいる。
瞳をとじると私とあなたの2人きりの世界がそこにある。
あなたへの贈り物
あれから私は仕事を辞め家に引きこもりました。
もう傷つくのも傷つけるのも嫌だから。
でもやりたいな〜って事は沢山やってきた。昔からの憧れのピアノ始めたり、自分の思い通りの器も作ったし…。旅行だって遠くまで行った。
もう思い残すこと無いくらい。
ただ人間関係は無に等しい。
もちろん近所付き合いは愛想よく真面目に。昔馴染みとはそれなりに。
家族とはギリギリなんとか。
つまんない?ちっぽけ?吹けば飛ぶ?
それが私。本当の私の現実。
だから何も贈ること出来ない。
何も残っていない空っぽな私。
そんな空っぽな飾り1つ無い裸の私を贈ります。もらってくれますか?
それでも愛していると言ってくれますか?
羅針盤
性格から言うと方向を教えてもらったとしてもその方向に行くとは思えない。いつも土壇場で思いつきでその場の気分で動く私。
更に目的地があるからこその羅針盤なのではないか?何処へ向かうか決めていない場合、どう活用すれば良いのだろう。
もし目的地を決め、迷う事なく一途にこの道を行くとした時に、羅針盤が教えてくれるのは何か?
迷いながら苦しみながら様々な経験が、身体に心に染み込むからこその答えがそこにあるとしたら?
羅針盤が示すのは間違いのない方向?苦労するけどその先に明るい未来が示す方向?楽に幸せになる方向?
スパロウの様に宝物を示してくれたとして、私の宝物ってなんだろう。
健康、美味しいご飯、子供達の笑顔
な〜んだ毎日自分の周りにあった〜