雨が降ることを"空が泣く"と言う人がいる
あれは泣いているのか、それとも怒っているのか
嬉し泣きなのか、ただ単に悲しいのか
私は常々疑問に思っている。
悲しい時に降る雨は無常で切ないけれど、嬉しい時に降る雨は自分を応援してくれる恵みの雨のように思う
雨の心情は自分の感情とリンクしているようで、現象に心をハイジャックされた気になるけれど
それは自然がいつも貴方に寄り添っている証拠なのかもしれない
誰かに憧れる人生も素敵だけど
誰かに憧れてもらう人生を送ってみたいとも思う
憧れとは単に羨ましく思う事でもないような気がする
生きる理由というか、苦しい日々の楽しみというか。
他者への承認欲求が高まっている現代の日本と同じ思考で申し訳ないが、他者からの羨望の眼差しというのは自分が誰かに憧れる時以上に日々を明るくしてくれる時もある
時にはそれが辛くなる事もあるけれど。
そんな事をぼんやり考えながら歩いていると、携帯に一件のメッセージが入った。
『自分の短所ばかりが頭にあって自分に呆れるけど、それは時に長所となり誰かの憧れになっている』
一体なんのやり取りをしてそんな話題になったかは忘れたが
"君からのLINE"にはそう書かれてあった
大切なことで失敗したら落ち込むのは当たり前
仕事、家庭、恋愛
"やるせない気持ち"はどこにでもいて、私の前に現れる機会を伺っているようだった。
終わらない仕事
どうしたらいいのか分からないこの先。
いい人だなと思っていた人の告白を断ったり、漠然としている将来について考えてみたり。
世間は夏休みシーズンでも
私にとっての長期休みはまだまだ先のようです。
割り切る事は大切だけど、簡単に割り切れない時もある
でもそれは、それほど大切に物事を考えている証拠なんだ。
じっくり考えて生きてる私に、今日も幸あれ
"澄んだ瞳"で世界を見ていた頃が懐かしい
今でもそんな風に純粋でいられたら良かったのに
社会に揉まれて人の怖さを知って
同時に温かさも知って。
そう考えると今も悪くない、かも?
ぼーっとしていたら一時間あっという間だった。
私はこんな事をしている場合では無いのに、また要らないことをしてしまったと自責の念が募る
私の人生はいっつもこうだ。
この先の人生、
"嵐が来ようとも"
立ち向かって行くしかないのかもしれない。
あ、でも危ないからしっかり重装備にしてからね