ちいさい頃、おじいちゃんに後ろから抱きしめられる形で上着に一緒になって入って、「あったかいね〜〜」とよく温まりに行ってた。あの温度が大好きだった。
一生かけても分かるか定かではない人生の課題。
特に私はなかなか定義できないと思う。
いつもはっぴーに生きていられない質だーって
思ってしまうフェーズだから。
色々、本を読めばいろんな見方で解釈された
“幸せ”のかたちが描かれている。
それぞれ、とても良いと思う。
私にとって幸せとは何だろう?
好きな人が笑ってくれたとき?
お気に入りのものが見つかったとき?
季節をたのしめたとき?
美味しいものを美味しいねと言えたとき?
心がふっと温かくなるちいさな幸せは日常に散りばめられている。
それに気が付けるとき、「あぁ、私の心はいま悦んでいるのね」と感じられる。
その瞬間があることが、幸せなのかもしれない。
最近は気が付けない日が多い。
思うだけだけど、消えてしまいたくなる日の方が多い。
でも、かつては幸せだったんだよね、私。悦んでたもん。
見えなくても、散りばめられてる幸せに見守られてるよ。
いつだってそこにあるから、大丈夫、ゆっくり、私も幸せになれるよ。
我が家の初日の出は毎年1月2日。
1日はみんな起きられないから、2日に見に行く。
生きやすいのか、傲慢なのか、どちらにせよ勝手である。
わたしには、おばあちゃんが編んでくれたセーターがある。もう小さくて着られなくなってしまった、お気に入りの。
そのセーターを着ているときは、なんだか護り神がいてくれるような無敵感があって、小学生の時のドッジボール大会とか、習い事の発表会とか、何かと気合いを入れるときに着てた。もちろん何もなくても着てた。あったかくて、ずっと大切なわたしのお気に入りだった。
サイズが合わなくなってから、そのセーターは箪笥の奥にいた。記憶の箪笥の中でも奥にしまわれていたのが引っ張りだされたのは、わたしがひとり暮らしを始める引越し準備をしていたとき。
セーターと一緒に引っ張りだされたあったかい記憶。それを大事に、わたしは日々を暮らしている。
おばあちゃん、お元気ですか。
わたしは最近編みものを始めてみました。
こ、こんな難しいことをやっていたの……?おばあちゃんすご…と思いながらいろんなものを編みすすめています。何だかんだたのしいです。
小さいころ編んでくれたセーター。とってもお気に入りでした。それを着ていたら何でもできるようなあったかさがあったのだけど、それは心を込めて編んでくれたおばあちゃんの温もりだったんだね。
最近手袋を編んでみたのだけど、仕上がりはでこぼこ。でも、出来上がったものを友人に見せたら「ぜひほしい」と。後日、その手袋をつけた写真が「とってもあったかいよ!✌︎」という一言を添えて送られてきて、心がほわっとあたたまりました。
編みものっていいね。
あたたかい贈り物をありがとう。
寒い日が続きますので、お身体お気をつけて。
またお手紙書きます。