『桜散る』
今日はやけに雨が強くて、まるで梅雨になったかのようなくらいの雨だった。
入学式を終え、クラスのグループもそこそこできてきたんだ。
得意ではない共感をこの2週間でたくさんしてきた。
初授業でテストないわ〜と言われ、それなあと返し、ここの学食のカレースパイシーで美味しいね!なんて言葉にはほんとそれ!と返す。
でも本当は、初めましての授業でひたすら授業の流れを話されるくらいなら全然テストの方がマシとか思うし、カレーだって、私は辛いのが苦手で、なれない辛さにお腹を痛めた。
でも、お母さんに言われたんだ。
「高校生になったら仲良い子作るのよ〜それが青春なんだから!」
確かに中学時代は割とひとりのことが多かった。
でもそれは私が好きでひとりをしていたし、誰かと特別仲良くなりたいとも、特定の誰かに執着心が湧くこともなかった。
お母さんは私がいじめられてたと思ったのか、私立を勧めてきた。
「私立は綺麗で、学食だって広くて、おいしいものがたくさんで、大学行くならある程度名前のある私立の方がいいのよ。」
そんな、パンフレット見ればわかることを娘はどう反応するのか、、と胸を震わせた表情で聞いてくるもんだから、私は特に言葉もなく、こくりと縦に首を振った。お母さんは嬉しそうだった。なんなら、制服の写真を私に見せて興奮した様子で私にこう語りかけてきたんだ。
「あなたの白い肌にこの色の制服は似合うと思うの。それに、リボンでもネクタイでもどっちでもつけていいみたいなのよ?選べるなんて贅沢な学校よね〜!あなたはきっとリボンが似合うと思うけど、ネクタイもつけてみたらキリッとして、意外といいのかもね!」
と。
私は人と比べて長けているところがなかった。そう思っていた。きっとそうなんだ。
まぁ、よく言えば平均。悪く言えば特徴がない。
だからお母さんは名高い高校を勧めてきたのかな?
そんなの、私に関係ないのに。私は私で、学校の名前はあくまで私の飾りなのに。
お母さんは私のことをわかったようで、何もわかってない。だふん、親の心子知らずというもので、お母さんも同じことを思ってると思うんだけど。
でもね?お母さん、私は全然この学校行きたいと思わないし、私の行けるレベルでもないんだよ。本当はこんな本音を言えたらいいのに。お母さんがヒステリックになることが怖くて、私は中学校に入ってからずっと本当に思うことはほとんど言えずにいた。
お母さんは女性で、中学校のクラスメイトの半分は女性。いや、まだ女の子。でも、お母さんのヒステリックが怖くて、この子達もいつかお母さんみたいに叫び散らして、キッチンにあるものを全部投げてきたりするのかと思うと、怖くて。それなら、ひとりがいいと思ったんだ。なのに、それなのに、そのお母さんの勧める私立は女子校だった。
私は自室で書き投げるようにお母さんの愚痴を書きに書き尽くした。本当は大好きでいたいのになんて気持ちもあって、涙が出てきた。
そんな受験生話があり、今は母の期待通りのお友達のいる娘をしている。
別にこの子が好きなわけではない。その子が好きなわけでもない。あの子が好きというわけでもない。毎日毎日、昼休みになるたびに集まって、先生の愚痴とか、授業の意味わからないねーなんて話す。本当にこれがお母さんの求める私だったのかな?
だんだんしんどく感じてくるのに、お母さんの理想にならなきゃと必死になって、苦しいな、苦しいな。とプールを習ったばかりで息継ぎが全くできない状態なんじゃないかと思うくらい苦しかった。本当に、苦しいんだ。お母さんが、お友達たちとのプリクラとか、タピオカを飲みにいた写真を見るたびに満足げな顔をするのに、私はその顔がいつの間にかおぞましいと、この世の人だと思えない気持ちになった。
なんで?大好きなお母さんなのに。わからない、私が好きなお母さんは機嫌のいいお母さんで、ヒステリックなお母さんは怖いし。何が何だかわからなくなってきて、あー、どーでもいいや。と思った。
今年は桜が散るのが早いなあ。
落花流水。
羨ましい。綺麗に咲いて、散る姿すら美しい。
川に花びらが落ちて、ゆらりゆらりとゆっくり流れて行く様子もなんだか綺麗で。
私もこうなりたい。
私も、咲いて綺麗に散って、さらに水に浮かびながら流れたい。
おかしいな、私って、よく言えば平均で、悪く言えば特徴がないはずなのに。
私が憧れているものは、咲いていても、散っていても、流れていても美しくて、人々が見惚れるものなんだ。
あー、私も、さくらになりたい。
サクラ。
あ、思い出した。私、名前が桜愛だ。漢字じゃわかりにくいよね、ひらがなだと、さくら。カタカナだと、サクラ。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
この物語は私のたった15年の最後の誰にも言わない、見せない、利かせない、心の日記。
最後の日記なの。
最後にするの。
お友達のみんなも、お母さんも、お父さんも、ありがとう。
桜って、散った姿も綺麗って、お友達も昨日、晴天という言葉が合うくらいの天気になんか言ってたし、お母さんも小さい頃、お花見をしたときに、桜は咲いてても綺麗だけど、散った姿も様になるわよね、と言っていたよね。私覚えてるよ、お母さん。
お母さん、今まで育ててくれてありがとう。
お父さん、私と顔を合わせないくらいお仕事頑張ってくれてありがとう。
私、散るよ、散って、綺麗だねって、言われるようになるね。
なんか、最後って思うと、今までの気持ちが嘘だと思うくらい、楽になって、嘘みたいに、泣きたくなった。
私は門限をこの日初めて破った。
携帯電話の通知が止まらない。
なんだかうざかった。
だから、まだ中途半端な高さだけど、ケータイを放り出した。
そっからは1分も、5分もわからないまま、どのくらい時間をかけて崖に向かって歩いたかなんてわからないけど、ひたすら歩いたんだ。
朝日が見えた頃、私は最後の感動を心にしまった。
そして、両腕を広げて、地面向かって、崖へ飛び降りたの。
桜散る。
『遠くの空へ』
いつか死ぬことを考えたら、きっとあの遠くの空へ行くんだろうな。
お母さんが言っていたんだ、死ぬ時はみんなお空に行くと。
最後の19歳の日。遺書を書く。明日リビングのテーブルに置くんだ。そして、探しても探しても、見つからないはずの樹海へ行こうと思う。
家で首吊りも考えたさ、近くの川で水死体になるのも考えて、処方されている薬を一ヶ月分全部飲んで野垂れ死ぬことも考えた。
ねぇ神様、何が正解なの?
虐待だって、いじめだって、耐えて耐えて耐えて、もうつらいんだ、いや、もはやつらいを変えて、死ぬのが楽しみなんだ。
明日を楽しみに、私は眠った。いや、眠れない。だから、睡眠剤をあるだけ飲んで、死んだ様に眠りについたんだ。
お父さんの怒鳴り声で目が覚めた。
そして、お母さんの悲鳴で今日で終わらせようと確信したんだ。
お母さん、ごめんね、私だけ逃げるみたいになっちゃって、いや、私ひとりだけ、逃げてしまって、ごめんなさい。
1時間、2時間とお父さんの怒鳴り声とお母さんの悲鳴が交互に家中に響かせる。
息が苦しい。頭がくらくらする。
20歳になった今日、私をおめでとうと迎えてくれる人はいなくて、きっと、神様が迎えてくれるんだよね。
そうじゃなきゃ、20年もこんななんとも言えない気持ちを一人で溜め込んだ意味ないもんね。
お昼12時になるとお父さんもお母さんもお仕事へ行った。いつも、そうなんだから、昨日もきっとそうなんだ。私が20歳なんて関係なくて、ただ時間は進む。
晴天と言えるほどの太陽に、肌が汗ばむほどの気温。
もう、こんなじりじりと肌を焼かれる感覚を感じることもないんだ。
もう、雨を見ることも、雪を見ることもないんだ。
そうおもうと、なんだが、寂しい様な、清々しい様な、矛盾した気持ちになった。
携帯電話も、財布も持たずに、樹海までの交通費が入ったICカードをもって、部屋を出た。
見納めだ。20年間、ありがとうね。なんて声をかける。不思議と涙なんて出ず、笑みを抑えられなかった。その気持ちのまま、昨日の計画通り遺書をリビングのテーブルに置いた。
置いたけど、置いたけれども、封筒が目に入った。
それは私の名前が書いてある。
樹海で見ればいいか。と荷物が一つ増えたことなんて気にせず、その封筒を半分に折ってポケットに突っ込んだ。
自宅から最寄り駅まで徒歩15分。
最寄り駅から樹海までどのくらい電車で揺られるのだろう。
何も考えず、ぼーっと電車に揺られる。
1時間とか2時間どころじゃない。何時間電車に揺られて、夕陽が沈む頃に着いた。
注意書きがいくつもいくつもあって、それを目にした瞬間、なぜだか安心してしまった。なぜだろうか、もう、私は壊れたのかな。
樹海もいいとこだろう。
もう3時間は歩いたと思う。
座って、私は封筒を見た。
「お母さんです。娘にこんなことを言うなんて、最低だと思います。なので、手短に。死んでください。」
ただこれだけ、この2行だけ。
私は涙が出た。死んでと、願われていたと、何かしらでいい、負の感情でさえ喜ばしい。
私はお母さんの死んでくださいと言う言葉の通り、死のうと思う。
お母さん。お父さん。お友達のみんなに、いじめてきたみんなへ。遠くの空で、しっかり呪ってやる。
私は怨念を込めて眠りについた。
いつも飲む薬なんて1錠も飲んでない。
ひたすらここで眠るんだ。
遠くの空でしっかり呪うからね、ばいばい、みんな
遠くの空へ