「今」以外は全て過ぎた瞬間で過去だ。
想うことも想い始めはもう過去だ。
過ぎた日を想うというのは
一瞬一瞬に出来上がる過去の記憶を
時間で区切って「一日」としてまとめたものを
一日もしくは複数日をその頃として思い出すこと。
今を費やして頭の中で過去の追体験。
楽しい記憶だろうが悲しい記憶だろうが
自分の意思でやりたくてやってる時はいい。
けど、思い出したくもないのに
不意に勝手に始まるのは勘弁してほしい。
あれ、ホント何なんだろ。今がもったいない。
冬がくると、夜ベランダにあるポリバケツにゴミを捨てるとき
堂々としたオリオン座が目に入る。
ベランダの柵に寄り、見上げると
オリオンの右上に牡牛座、左斜め上に双子座。
そいで、オリオンの右肩ベテルギウスが
おおいぬ座のシリウスとこいぬ座のプロキオンとで作る
冬の大三角形。
シリウスと言えば
風の谷のナウシカの
「シリウスに向かって飛べ!」を思い出す。
冬の夜空は賑やかだ。
夜のゴミ捨てが楽しみな時期が近付いてきてる。
小学校低学年の頃、全校集会で「鬼のパンツ」を踊った。
いや、踊らされた。
低学年は各教室で前もって指導を受けて。
当日、一年生から六年生まで整列し
フニクリフニクラの曲に合わせて踊り始めた。
はこう はこう 鬼のパンツ~♪
のパンで全校一斉に手を叩く。
凄まじい音が響く。
児童、先生、校長までもが無表情に踊り続ける。
1回終わっても、また始まる。
思ってた以上に何度もリピートする。
何かの呪いのような光景だった。
そして大人になっても
あの振り付けは、あの替歌の歌詞は、呪われた光景は
脳裡にこびりついていて、油断すると脳内再生が始まる。
ラーメン屋の代替わりで
突如失われたあの餃子と
幼かった私を魅了し
揺るぎなきトップに君臨し続けたあの餃子と
もう一度、もう一度でいい
巡り会えたら
うぅ…
子供の頃、その恐るべき敵と初対峙した。
黒光りボディ、神速、圧倒的存在感。
奴だ、Gが現れた。
姉の悲鳴が恐怖を倍増させる。
すわと急ぎ丸めた新聞紙片手に臨戦態勢に入る母。
その間涙目のまま動けずにいた私を侮るかの如く
Gはピクリとも動かない。
不動の母とGの放つ緊迫感。
横目にいつの間にか距離を取った姉の手招きが見えた。
意を決し姉のもとへ一歩踏み出したその時
まさかの事態が起きた。
私の足の着地点にGが突進してくる--
…ふみっ
Gにとっても私の動きはまさかの事態だったようだ。
その後、半狂乱で足の裏を洗う私を母と姉が褒め称えた。
あれから時を経て、Gと幾度目かの対峙。
そうそうあることではないと分かっていても
「Gの奇跡」に備え、スリッパを必ず履くことにしている。