向かい合わせ
僕には甥っ子が2人いる。
向かい合わせになると僕の方に駆けて来て両手を広げて「ごった」と言ってくる。
「抱っこ」の意味らしい。
僕が抱っこするとたくさん笑ってくれる。
甥っ子2人が笑ってくれるのが嬉しくて抱っこや高い高いをし過ぎて腰を痛めてしまうことが何度もあった。
甥っ子2人が笑いかけてくれるたびに僕の心が浄化されていくのが分かるのだ。
やるせない気持ち
僕は今絶賛片思い中だ。
相手の人はもう僕の手の届かないところにいるからどうすることもできない。
このやるせない気持ちを発散させるために運動や音楽活動をしているが一向に晴れることはない。
僕にとってそれほど魅力的な女性だったのだと遅まきながら気づいた。
この辛い思いをなくすために何度か最悪な行動を起こそうと考えたがきちんと踏みとどまることができた。
精神状態が最悪な時は安全な場所に向かい30分ほどその場でじっとしているといいとアドバイスをもらったことがある。
このアドバイスに僕は何度か命を助けられた。
まるで長いトンネルの中にいるようだ。
けれど、きっとトンネルには終わりがある。
僕はそう信じている。
海へ
小さい頃、家族みんなで海へ行った。
その時に僕は溺れてしまった。
泳げるようになる前に溺れてしまったので、そのトラウマで、僕は水泳の授業では見学ばかりするようになった。
小学校5年生に上がるまでそれは変わらなかった。
だが、この5年生の時、決定的な出来事があった。
好きな人に泳げないことを笑われてしまったのだ。
だから僕は悔しくて、水泳教室に通うようになった
水泳教室に通い小さい子たちに混ざって練習を始めるのは、とても恥ずかしかったが確実に成長していた。
1年後には水泳の大会に選手として選ばれた。
この頃には僕は水泳が大好きになっていた。
この経験から自分に苦手意識があっても、まず、しばらくは続けてみることが大切なのではないかと思うようになった。
続けることで好きになるタイミングというものがやってくるからだ。
裏返し
嫉妬は愛情の裏返しだという。
一つの事象も、また異なる面から見ると別の意味を持つということなのだろうか。
僕は過去の自分の経験からこの意味について考察していきたい。
僕は高校時代の通学途中の学校専用のバスでうんこを漏らした。
朝からひどい腹痛の中、我慢できずにやってしまった。
腹痛で苦しんでた時に途中で下車してトイレを借りれば良かったのだがプライドが邪魔してできなかった。
漏らしたことにより、プライド以前の問題になった。
振り返ると本当にたくさんの人が優しくしてくれた。
僕はこの脱糞バス事件の結果、同じ犠牲者を出さぬよう薬学の道を志した。
脱糞バス事件はとても惨めな経験だったが別の視点から見ると、人の優しさに触れることができたのと僕の進路に大きな影響を与えた。
長い間、苦い思い出だったが、ポジティブな面を見出せるとは思わなかった。
鳥のように
雄大な大空を鳥のように飛び回ってみたい。
僕は小心だからそんなことはできない。だから、憧れるのだ。
もし、空を飛べたとしても、おそらく恐怖のあまり飛びながら脱糞してしまうだろう。
こう書いていて思ったことがある。
鳥も空を飛びながら脱糞するではないか。
であるならば僕にも鳥になれる素質があるのではないか。
なんということだろう。
ということは長年恐怖のあまり脱糞するだろうと避けてきたバンジージャンプやスカイダイビングも、僕にもやれるのではないかという一筋の光明が見えてきた。
脱糞することを恐れるのではない。
むしろ、鳥のように脱糞してやれの精神で臨めばいいのだ。
今日の僕の学びだ。