あなたの名前を呼ぶ。
きっと助けてくれると信じて。
きっと気づいてくれると信じて。
希望を持って。
あなたの姿を探す。
きっと来てくれると信じて。
きっと手を取ってくれると信じて。
あなたの優しい声が耳に響く。
手を伸ばすと、あたたかい感触が伝わる。
あなたの香り。
いつだって希望を与えてくれる。
そう、信じている。
暗がりの中でも。
信じるものがある、私は強い。
甘く少し大人な香りが鼻をかすめた。
この香りを嗅ぐと、いつもあの人のことを思い出す。
あの人が通った後はいつもその香りで満たされていた。
行きつけのカフェで彼を見つけたのが始まりだった。
初めて見る彼は、とても美しい人だった。
本を読んでいて、ページをめくる所作も、動く目線も、時々紅茶を口に運ぶ姿も、どれもが綺麗だった。
そんな彼に見惚れていた僕は、痺れを切らした店員が注文を聞きにきた時ようやく我にかえった。
焦って紅茶。
それとついさっきまで目に映っていた、ケーキを頼む。
いつも紅茶ばかりだったのでケーキの注文にやや戸惑ったが、何とか頼むことができた。
少し安堵しつつも、もう一度彼に目を向ける。
すると、彼がこちらを見て笑っていた。
微笑む彼は、本を読んでいる時と違って柔らかな表情をしていた。その笑みの中に憐れみのようなものを感じて、自分が注目されていることに気づく。いつもと違うケーキを頼んでしまったばっかりに。
焦る自分が思ったより多くの人に見られていたようだ。
恥ずかしく顔を赤くしながら顔をふせる。
しばらくしてケーキが運ばれてくると、ついさっきの羞恥など忘れてしまうほどに感動した。運ばれてきたケーキは、王道のいちごショートケーキ。迷いに迷って結局これにした。でも、間違いじゃなかった。これにしてよかった。綺麗な生クリームに包まれたスポンジはしっとりとしていて、上に乗ったイチゴは宝石のように輝いている。これは、もっと早く頼んでいればよかった。それに、紅茶がまた合う。程よい甘さのケーキと、さっぱりとした紅茶がとても合う。本当に何で今まで頼まなかったのか。自分の行動が悔やまれる。ケーキを前に一人で百面相していると、くく、と笑い声が聞こえた。声の方を向くと、彼が、顔をくずして堪えるように笑っていた。少し幼い笑みに、思わず目を奪われる。彼の笑いが収まると、目が合う。そして、また笑いながら唇の端を指差す。色っぽい仕草に目を奪われながらも、意味を探る。長い間彼をむつめて、ようやく理解する。ナプキンで口を拭き、彼の揶揄うような笑みにムッとしつつも紅茶を口に含む。やはり美味しい。彼もここの紅茶を気に入って、また会えたらいいなと思った。その後、再び読書にふける彼を横目に、僕も課題に取り組む。もともとは、課題ができる静かな場所を探してこの店を見つけたのだ。一介の課題に追われる学生としては、ありがたい。一区切りついてふと顔を上げると、いつのまにか彼はいなくなっていた。
次の日も、その次の日も、またその次の日も課題が残っているということを理由に、期待しながらカフェに行った。でも、彼と出会うことはなかった。
一週間ほど会えずに、次で諦めようと思ったその日、彼がいた。思わず彼を見つめていると、視線に気づき優しく微笑み返してくれた。いつもの席に座り、初めて彼と会った時と同じ紅茶に、ケーキを頼んだ。今度は戸惑うことなく、スムーズに頼めた。彼も、やりましたね、といったように頷いてくれた。嬉しさから微笑み返す。
毎日通ったおかげで課題も残り少なかったため、問題なく終わらせることができた。彼を見ることができて、課題も終わらせることができて気分の良い僕は、久々に掃除でもしようと思い席を立った。周りを見ていなかったため、店を出る直前方に手が掛かるまで気づかなかった。驚いて振り返ると彼が立っていた。
「えっ、、、!」
予想していなかった展開に思わず一歩下がる。
「てっきりあなたもかと思ってたんですが、、、まぁ、
すみません、いきなり。一週間ほど前、このカフェに
きていました。その時あなたを見かけて、、、」
まさか僕のことを覚えていたなんて。それに、あなたもとは一体どういうことだろう。考えてフリーズしていると、彼が口を開く。
「あの日から、思ってたんです。初めて見て、、しっく りくるっていうか。多分、何ですけど。俺、あなたが」
「ちょっと待って、、、!?」
どういう展開!?と心の中で叫びながら何とか彼の言葉を遮る。頭が追いつかない。今ここで何か言われても飲み込めないだろう。助けを求めるように彼のことを見上げる。
「、、すみません。困らせるつもりはなくて、、、そんな顔、しないで下さい。」
自分がどんな顔をしているのかわからないが、きっと酷い顔に違いない。綺麗な彼の顔を見ていると余計に恥ずかしくなる。いつの間にか、彼の腕に挟まれて壁に背を向ける形になっている。俗にいう壁ドンみたいだな、とよく分からない考えが頭をよぎる。
すると、想像していたのと違って彼はあっさり離れた。
「、、、これ、俺の電話番号とメアドです。よければ、連絡ください。いった。紅茶の苦い香りが鼻をついた。
その後、彼のことが気になったのと、いきなりとはいえ拒絶してしまう形になったのを謝りたくて、彼に連絡した。電話をかける勇気はなかったから、メールで。
すると、すぐ返信がきた。待っていたのかと思うと、少し嬉しい。彼はとても優しくて、悪いのは自分だと何度も謝ってくれた。そして、カフェにいこうと誘われた。迷ったが、紅茶を語る友達もいないから、、と言い訳して了承した。
数日後、カフェで彼と会った。
少し距離を感じる気がしたが、気にしないことにした。彼と話していると、驚くことがあった。彼はとても紅茶に詳しく、とても楽しい時間を過ごせたのだが、彼が紅茶を飲んだきっかけは僕らしい。何でも、この店で紅茶を飲んでいる僕を見て自分もと思ったらしい。僕と近付くきっかけになるなら、と勉強もしたらしい。僕なんかにそんなに熱心に?と理解出来なかったが、悪い気はしない。それに、こうして紅茶について話せるのは嬉しい。話が弾み、その日の紅茶はいつもの何倍も美味しかった。
それから何度も、彼と一緒に紅茶を飲んだ。
彼は話すのも聞くのも上手で僕は彼との時間が楽しみになっていた。彼はいつも同じ紅茶を飲んでいて、一度頼んでみたことがある。でも、僕には大人に味で砂糖を沢山入れないと飲めず、紅茶を壊してしまいそうで、もう頼むことはなかった。でも、その紅茶の香りは好きだった。彼の匂いだから。紅茶は苦手でも、彼は好きだった。この気持ちはいつからか心にあった。
彼と出会ってから1年ほど経ったとき、彼が仕事の都合で引っ越さなければならないと言った。驚きと寂しさでよくわからない感情になって何も言えなかったが、彼は僕のことを抱きしめて言った。「すぐ戻るから待ってて」と。その時の僕たちはまだ友人だった。
今でも、彼とは仲良くしている。
すぐ戻ると言っていたのになかなか帰ってこないのは、気づかないふり。彼の飲んでいた紅茶は知る人ぞ知る有名なものらしく、あれから何度か感じたことがあった。
その度に、彼のことを思い出す。
彼と一緒に紅茶を楽しんだ日々を。
とても良い思い出だが、少し寂しくもある。
早く帰ってこないかな。
僕はもう立派な社会人になった。
一人で暮らす力も十分にある。
でも、足りないから。
欠けたピースを求めるように、僕は彼を求めている。
また、甘くて大人に彼の香りが僕の鼻をかすめた。
#紅茶の香り
僕は手を伸ばして君の涙を拭おうとする
そしてすぐ、君に触れられないことを思い出して諦める
せめて涙の理由だけでも僕に教えてくほしい
誰かに話すことで心が軽くなる、
そう聞いたことがあるんだ
君の涙を拭うことも
相槌を打つことも
一緒に悲しむことも
背中を押してあげることも
全部ぼくにはできないけれど
せめて理由くらいは教えてほしい
君のとても綺麗な、でも儚く悲しい涙の理由を
握りしめられた手は今まで感じたことのない痛みが走っていた。
それでも悪い気はしなかった。
でも、跡がつきそうで、流石に手が離れた。
「大丈夫、俺はどこにも行かないからさ、、、、、、、なくなって。」
そう話しかけてみるが、顔は相変わらず暗いまま。
電気のついた明るい部屋でも、俯いた彼の顔には光など差せそうもない。
俺の顔を覗き込んでまだ泣いてるこいつは、
いまにも何処かに消えてしまいそうだ。
いっそ、「せめて、同じ場所にいけたら」そう何度も呟いている
俺だって、まだいきたくはなかったんだ。
でも、しょうがない。
いつかは来る日だったんだ。
おれが、ちょっと早かっただけで。
「、、、ごめんな。お前には笑っててほしい、、、、
なんて、ありきたりだしわがままかな?」
もうそろそろいかなくちゃならない。
もともとあんまり感情を行動に出さないほうだから、
とてつもなく離れ難いが、そうもいかない。
「もっとはやく伝えてれば、よかったのに、、、
俺の馬鹿、、、、なんで、、、」
隣から何か聞こえてくる。
「手紙なんかに書かないで、言葉で伝えてよ、、、
俺が真面目なときのお前に、真面目に返さなかったこと ないだろ、、、、」
世間体とか、そんなの、お前がいればよかったのに、、
そんな言葉が聞こえてくる。
それこそ、今じゃなくてもっとはやく言ってくれよ。
どうせ答えてくれないから、小さく笑いながら歩き出す。
「ほんとごめんな。
笑えとは言わないから、泣かないでくれ。」
背中を押すつもりで、
力を込めて背中を叩きながら俺は背を向けた。
後ろで振り向くような音がしたけど、気のせいだろう。
気のせいじゃなかったとしても、
もう、振り向いちゃダメだ。
これ以上、未練はいらない。
どうしてこうなってしまったんだろう
数分前までここには明るい空気が立ち込めていたのに
それはもう、嫌になるくらいに
それでも、
そんな空気が、
そんな空気をお前と一緒に過ごすのが、
好きだったのに
ついさっきまで明るい空気がむせかえるほどにここに立ち込めていたことは分かるのに、
この数分で僕が何をしていたのかは、何もわからない
ただ一つ、変え難い現実として僕の前にあるのは、
さっきまで笑っていた、お前の歪んだ瞳
そして、血のついた包丁
どうしてこうなってしまったんだろう
部屋にはウザいくらいの静寂が溜まって、
二人分の弱々しい呼吸音すら聞こえる
違う
微かに、何かが滴る音も
目の前の景色は酷く暗く、歪み、
同じ場所だとは思えなかった
もう、お前の顔しか見えない
顔すらも形がくずれて
りんかくもくちもはなもわからない
わかるのはお前の歪んだ瞳。それと、暗くて静かな部屋
どこで、間違えたんだろう?