目が覚めるまでに
彼は、教室でよく眠っていた。
彼の寝顔を眺めるのが好きだった。
美しい横顔に、少し乱れた前髪。
見れば見るほど引き込まれる。
起こしたら怪しく思われるので、写真など撮れないし、
彼の寝顔を眺められるのはこの時間だけだった。
退屈な学校も、この時間があるから頑張れた。
寝ているときに誰かが自分のことを見ているのには前から気づいていた。
でも、あまりにも静かに熱心に、毎日毎日見つめてくるもんだから起き上がる気にもなれず、静かに気づかないふりをしていた。
それに、そいつの匂いが好きだった。
俺の家で愛用している柔軟剤と同じで、
安心する匂いだった。
いつも起きていようと思うのに眠りについてしまうのはこの匂いのせいでもあった。
相手は自分のことを見ていると思っているが、本当は俺の方が見ている(?)と思うと、何だか面白かった。
そんなことを思い始めると、
ある日からぱったりと、そいつがいなくなった。
顔も名前も勿論知らないから確かめようがなく、気にしながらもいつも通りの日々が続いた。
でも、寝る時ばかりはいつもそいつのことを考えてしまう。いつも通りスッと現れて、同じ気配が近くに来るんじゃないかと考えを巡らせてしまう。
見られるのは悪い気分じゃなかった。
自分の顔を認めてもらっているようで、
良い気分になれた。
だから、何か物足りなさを感じていた。
一ヶ月くらい経って、クラスメイトの1人が亡くなったと朝先生から話があった。
そいつが休み始めたのは俺の寝顔を見ていたやつが居なくなった時と同じだった。
今まで大してクラスメイトへの関心がなかったため、
言われるまで長い間休んでいたやつがいたことさえ気づいていなかった。
少ない友達に頼って、何とかそいつの家を突き止めた。
同学年の友達全員に聞いて回ったので、だいぶ疲れが溜まった。
もうあいつが二度とこないことは分かりきっているのに、何かを期待して最後にここで寝ていこうと思った。
いつも通り椅子を少し引いて顔を伏せると、誰かが扉を開ける音がした。
ガラガラと、少し引っかかる、間違いなくうちのクラスのドアだった。
「これがあいつだったらな」と思いながら目を閉じようとすると、入ってきたやつが、こちらへ向かってくる気配がする。たまたまだ。そう自分に言い聞かせているが、どんどん気持ちが高まってくる。
でも、どこかであきらめている気持ちもあった。
もう絶対にあいつはこない。
期待しても悲しくなるだけだ。
と、ぎゅっと強く目を瞑る。
すると、そいつはいつもの前の席に座った。
いつもの気配がした。間違いなかった。
朝先生が言っていた名前は、「田﨑 柊」。
俺は瀧澤だからすぐ後ろの番号だった。
そいつは、田崎はいつも通り静かに俺を見ていた。
名前も顔も覚えた後だと、いつも全く感じなかった緊張が湧き上がる。同時に、今まで満たされなかった何かが満たされていく感覚があった。
ずっとバレないようにと静かにしていたが、そいつがいつものように椅子を引いて帰ろうとした時、我慢ならずに顔を上げた。
いなくなってしまった寂しさ、これが夢でもまたきてくれて嬉しいという気持ち、様々混ざり合っていた。
だが、そこには誰もいなかった。
ただ、俺の机の上に花びらがあるだけだった。
そこからはいつもと同じ、甘い柔軟剤の匂いがした。
帰りに花屋に立ち寄って似た花を買ってそいつの家に向かった。
花屋に立ち寄ったのは初めてだった。
そいつの家に行くと、有難いことに母親が喜んで出迎えてくれた。元々友達が多い方ではなかったらしい。
その家特有の匂いと共に、微かにあの甘い匂いがした。
花を飾らせてもらえないかと言うと、快く花瓶を貰えた。水を入れて花を飾る。
花瓶を持って仏壇に向かうと、教室で見たものと、俺が持っているものと同じ花が飾ってあった。
写真は、自然な笑顔の良い物だった。
できれば生きている時に実際に見たかった。
長い間手を合わせて、甘い匂いの家を名残り惜しくも去った。
「また来てね。
きっと、しゅうもよろこんでくれるから。」
そう言ってもらえた分、少し気が楽だった。
急に高熱が出て、学校を休んだ。
友達も多くはないから、特に寂しくはなかった。
ただ、毎日見ていた寝顔を眺められないことだけが残念だった。風邪だろうと思っていたが、熱が全く治らず病院に行った。入院することになった。
結構進んでいたらしくもう手の施しようがないそうだ。
入院している間暇だろうと、母が本などいろいろ持ってきてくれた。中には今までの写真を集めていたと言うアルバムもあった。自分の知らない自分が居て、面白かった。
「これを遺影にして欲しいな」
などという不謹慎な冗談も思い浮かぶくらい、快適な生活だった。
しばらく写真を撮っていなかったのに、最後には今年の写真が入っていた。
とても自然な、一番見たことのない自分が居た。
全然気づいていなかったが、とてもいい笑顔だったからつい撮ってしまったと言う。
いつ撮ったのかきくと、ちょうど初めて彼の寝顔を見た日だった。家でもよく思い出していたからきっと、その時のものだろう。
最後にもう一度、彼の寝顔を見たくなった。
その夜、夢を見た。
瞬間、夢だとわかるものだった。
いつも通り、彼の側に行くもの。
いつもと一緒なのに、いつもとは違う、幸せな、でも寂しい気持ちで彼のことを眺めていた。
相変わらず彼は綺麗だった。
でも、少し疲れているようだった。
くまがあって、元気が無いように見えた。
時間になったからいつものように立ち上がる。
すると、彼が顔を上げた。
この寝顔を見てから朝から授業中、ずっと彼のことを見ていた。いつも無表情で、張り詰めたような感じだった。
でも、今日見たのは違った。
少し泣きそうな、でも嬉しそうな不思議な評定だった。
実際に見たかったなと思いながら、そこで意識が途切れた。
後から滝沢のお母さんに聞いた。
遺影の写真は、ちょうど俺の寝顔を見にくるやつが来始めた時のものだった。
この写真を見た翌日に、田崎は亡くなったらしい。
葬式で見た田崎の顔は、
遺影と同じ穏やかな自然な笑顔だった。
病室
よく、ドラマなどで窓の外を眺めながら
「あの花が散ったら、私はいなくなる」
みたいなことを言う。
僕は病気で入院していて、不安な日々を過ごしていた。
明日死ぬかもと言う恐怖と隣り合わせで押しつぶされそうな中、ふと外を眺めてその言葉を思い出した。
だが、僕の病室の外にはかっこいいことが言えそうな植物は特に無かった。
ちょっと残念に思いながら、自分の死期を自分以外に委ねるのは嫌なので、よかったと思う気持ちもあった。
どうして何の関係もない、たまたまそこにあっただけの植物に自分の命を預けることができるのか。
僕には到底理解できなそうだった。
もう自分の未来に希望がないから植物に未来を託したのだろうか。
どちらにせよ、植物はいずれ枯れるのだから花が散ったり葉が落ちるのは当たり前なのだから、それによって自分の運命を決めるのはどうかと思う。
少なくとも、僕は最後まであきらめずにいたい。
そんなことを楽しそうに語っていたあいつは、あっけなく逝ってしまった。
俺は、そんなあいつの言葉を聞いていたから、花束などは絶対に最期まで持ってこなかった。
あいつにとってはそんなに重い話じゃ無かったのかもしれないけど、ちょっとでも永く生きてもらえる理由になるなら何でもよかった。
あいつの容体が急変したと聞いた時は驚いた。
昨日見舞いに行ったばかりで、元気な印象しかなかったから驚いた。
到着した時は、まだ生きていた。
でも、俺を待っていたかのように、1時間後にすぐ逝ってしまった。元気なあいつしか記憶になかった俺は、あまりにも突然の死を受け入れられなかった。
何かこいつの残したものはあるかと病室を見回していると花瓶が目に入った。花だった。
花びらが、数枚落ちていた。
何の関係もないかもしれないが、昨日までなかったその花が憎らしく見えた。
帰りに店に寄って、よく似た造花を買った。
これでもう、おとすことはない。
七夕
ゲームのイベントで七夕を思い出した
夜になり、空を見上げる
期待とは違う曇り空
今年は会えたかな
彦星と織姫
友達の思い出
小学生になってからできた友達がいた。
その子と遊んでいる途中、保育園の時からの友達がいた。私はそのこと話し始めた。
さっきまで遊んでいた小学生になってからできた友達が一人残されているのも忘れて。
気づいたら、居なくなっていた。
急いで教室に戻った。
友達は自分の席で泣いていた。
周りの人は何もしていなく、気にも留めていなかった。その子の席へ向かう。
必死になって謝った。
ごめん。一人にして。
次からは絶対にしないから。許して。
ずっと謝っているうちに、いつの間にか友達は泣き止んでいた。そして、いつも通り、笑うことができた。
二人で。
このことがあってから、
真の意味で相手を信用できる仲良しになれたと思う。
一年後
あの日からちょうど一年。
僕は、何か残せただろうか。
余命あと三ヶ月と、医者から言われたのが一年前。
あの時は、本当にこの世の終わりみたいな気分だった。
僕は、荒れに荒れて、毎日を過ごした。
毎日のように朝方まで酒を飲んで、仕事も辞めて。
素面だった時なんてないに等しかった。
随分前にやめたタバコも吸い出した。
久しぶりに吸ったタバコは、絶望の味だった。
あの頃の自分は、
何が楽しくてこんなもの吸っていたのだろう。
でも、その絶望が、その時の僕には妙に心地よかった。
昔の僕も、こういう気分になりたくて吸っていたのだろうか。
余命宣告を受けてから毎日そんな日々を過ごしていた。
特に親しい友人も、恋人も、ましてや親も亡くなってしまった僕のことを心配する人など、
何処にも居なかった。
そんな環境が、ますます僕を汚していった。
三ヶ月後、僕はまだ生きていた。
この日が来る一週間前くらいから、今までと違って急に死が怖くなった。まともに信じてもいなかった神にも、醜く、生を縋るようになった。
そんな僕には、その生は救いだったのかもしれない。
それから急に、僕は働くようになった。
まともに通ってもいなかった病院にも通うようになり、
医者には、もう亡くなっているものだと思われていたらしく、とても驚かれた。
病院で三ヶ月ぶりの検査を終えると、こんな事を聞かされた。
「病気が治ったわけじゃない。今生きているのは、
奇跡以外では説明できない事実だ。いつ死んでもおかしくない。」、と。
せっかくやる気が出てきたのに可哀想だな
と、他人事のような感想が、一番最初に思い浮かんだ。
でもまぁ、いつ死ぬかわからないと言うことは、もしかしたら、死なないかもしれないという事でもある筈だ。
僕はそう自分に言い聞かせ、その後の日々も淡々と過ごした。なるべく楽しみは作らないようにした。
また、生きるのに執着してしまいそうになるから。
日々の小さな幸せを見つけるようにした。
そうして見ると、自分の人生は案外幸せなものだと気づいた。そこそこに恵まれた職場で、普通の日々を過ごしている。
死が隣り合わせなのは、何も僕だけに限らない。
病気、事故、他殺、どれも予測なんてできない。
何も、変わらない。
余命宣告を受けてから、ちょうど一年後。
僕は、病院のベットの上で横になっていた。
今の僕には、恋人もできた。友人も増えた。
余命宣告を受ける前よりも、幸せだったかもしれない。
彼は、僕と手を繋いで微笑んでいる。
こんな僕を受け入れてくれる、優しい人だ。
僕の人生は、余命宣告を受けてから変わった。
輝き出した。
「どうせ死ぬから」
と、少しの失敗も気にならなくなった。
少し、長く生きすぎてしまったかもしれない。
そのせいで、たくさんの心残りが出来てしまった。
でも、寂しく一人逝くよりは、幾分かマシだと思う。
自分も微笑んで、彼の手を握り返す。
そして、静かに目を閉じる。
最後に見るものが、愛する相手でよかった。
背景が病室なのは、気に入らないけど。