あの頃は、真っ白だった。
好きな作家さんが見つかっていなくて、ただ有名な作家さんやタイトルがちょっと気になった恋愛小説を読み漁っていた時が私にありました。
残念ながら、私の趣味に合わない物語もありました。それでもどれも最後まで読み切ることにしていました。
今思えば、尊敬する市川拓司さんに出会うための通る道だったのかもしれません。
それでも、素敵な物語を書く作家さんを見極める眼が当時の私になかったことは、思い出すだけで恥ずかしいです。
今は当時よりも眼が鍛えられました。流行りの本も勉強のためにあえてチェックしています。
もしも光に色や形をつけてみてと言われたら、僕は黄色でまん丸と答える。
光一つにしても、人によって見え方や表現の仕方は違うと思う。
まず、自分が感じたことはおかしくはないとわかっていてね。
同じじゃないから、相手のことがわからないときも確かにある。
でも、違いを話し合うことは楽しいことだと考えてみるのはどうかな?
そうしたらきっと光の見え方もまた変わってくるよ。
あの人は、私のことをどんな眼で見ているのだろう。
顔を上げればすぐにわかるけど、いつもそれができない。
あの人とは、時々学校ですれ違うだけで話したことは一度もない。
それなのに、私はいつの間にかあの人に恋をしていた。
確かに顔は整っているけど、そこを好きになったわけじゃない。
不思議だけど、あの人とすれ違うと温かい気持ちになる。
あの人のまとう空気感がきっとそうされるのだろう。
私はたぶんその優しさに恋をした。
今日もしすれ違うことがあれば、頑張って顔を上げてみよう。
あぁ、今からもうドキドキしてきた。
「それは無理だよ」と子どもの頃からよく人に笑われてきた。
否定からは何も生まれないのに、どうしてみんなそんな風に言うのだろうと不思議で仕方なかった。
世の中全体が目標を高くもつことを推奨しているのに、それがその人の身の丈に合っていないと途端に『攻撃』に変換される。
世の中は、矛盾であふれている。
そんな風に目標を純粋にもてる人を羨んでいるのかもしれない。
私は、あえて高い目標を掲げ言葉にし続ける。
そこにはすぐにはたどり着けないけど、努力し続ければきっと届くと信じているから。
自分を肯定することで何が生まれるか見てみたい。
いつの間にか周りの目を気にせずに、自分の好きなことを好きなように話さなくなっていた。
『トラウマ』というほど大層なものではないけど、私は子どもの頃に色々とあった。
そんな体験って心の奥底にずっと留まり、自分の様々な行動にブレーキをかけてくる。
本当は、私だって好きなことを何も気にせず誰かに話したい。
目をキラキラとさせて語りたい。
あの頃の私にどうやってたら戻れるのだろう。
いや、もう手遅れなのかな。