去年の今頃は山に登っていた。
とある言い伝えがある神社が、その山の頂きにあったから。
頂上への道は険しく、あまり整備されていない道を歩いた。
何故こんな所に神社を建てたのか、
速くなった鼓動の音がうるさい中、考えていたのを覚えている。
山頂につき、神社へお詣りをして、ふと周りを見て気がついた。
どうやら、隣山に続く道があるらしかった。
隣山は、神社のある山に比べて人が入れるよう整備されている。
案の定、その道を辿っていくと、隣山の下山コースに合流した。
隣山から登ったほうが、楽だったかもしれないことに気が付いて、
苦笑いを浮かべるしかなかった。一年前の出来事。
小学生の頃から好きな本を、今でも、後生大事に置いている。
その本が自分の基盤になった。
考え方を、進路を、人生を。
その一冊が決めてしまった。
その本があったから、今の自分はいる。
その本があったせいで、自分の人生は狂ってしまった。
その本がなければ、私はここでこんな文章を書いてない。
酷い話!酷い話だ!
これだけ自分の人生を狂わせたのに、その本はなんにも責任も取らずに、
私の咎になっているのをほくそ笑んでいるのだから!
こんな私を作り上げたのは間違いなくお前なのに、
私にための一冊ではないのだから。
曇っているにしては空が見える。
薄く、薄く。半透明になるほど引き伸ばされた雲が、
朝の日差しを柔らかくしていた。
雲の境界線がはっきりしない。よく分からない空だった。
晴れでもない、曇りとも言いづらい、曖昧な空だ。
その様子が、悩んで自分の心に靄がかかっている時のようにも見えて。
空も、もやもやとする事があったんだろうなと、
何故か妙に腑に落ちた気分になった。
雨の中。耐えるようにして咲く紫陽花は、見ていてなんだか物悲しい。
いつもより色褪せた世界の中で、その花の色だけが酷く主張しているからだろうか。
嫌でもその青が目に入る。
私が、過去あった出来事に耐えきれなかったことを、
責めているようにも、励ましているようにも見えて。
酷く胸が痛むのだ。
もし、あの時耐えきれたら、あの紫陽花のように、
きれいに咲けたのだろうか。
もう、もしもなんてどこにもないけど。
好き、嫌い。
そんなものが無くなればきっと私の、心の中は平穏だ。
好きは平穏に含まれないのかだって?
そうだよ。
だって好きもいつかは嫌いになるから。
好きでいつづけるのも、結構苦しいから。
感情の変化に好き嫌いが含まれている以上。
心の中は嵐のままだ。