遠くの空へ
中原中也の詩に「汚れちまつた悲しみに」がある。昔から知っていた詩なんだけど、悲しみが汚れるの意味がよく分からなかった。人に聞けばよかったんだけれど、周りには聞けなかった。悲しみが素直に伝わらないのかもしれない。人の傷みが分からないのかもしれない。自分のことは他人にはわならないさ、と言うことかもしれない。この世が嫌になると遠くへ行きたくなる。地面は汚れているからお空がいいなと思う。
言葉にできない
心の中のイデアは理想の世界。形而上にあるもの。これを表現するとなるといろいろな制限が加わる。言葉ならどれだけの単語を知っているのか?絵画ならばどれだけの色を作り出せるのか?音楽ならばどれだけの楽器を知っているのか?常に枠を気にしなければならない。そしてその枠を大きくしていく。そうすれば世界は広がる。宇宙は膨張する。エントロピーは増大する。理想に向けて努力しなければいけないと思う。
春爛漫
テレビを見ていると、鮮やかな桜が映し出される。昭和の初期にテレビ放送が始まった。それと共にコマーシャル音楽やコマーシャル映像が続々と出てきた。まさに雨後のタケノコという感があった。カラーの時代になって口紅の色に象徴される化粧品のCMが増えた。春になると明るい化粧品、夏になると清涼飲料水、秋になるとJRの旅。冬になるとあったかホッカイロ。テレビはまさに打ちでの小づちのように思える。打ちでの小づちを持つのは大黒様だったと思う。お米とテレビの文化は日本ならではと思う。
誰よりも、ずっと
誰よりも、ずっとあなたにいてほしい。小学生の子どもをもつ母親の悩みは、子どもの宿題だ。宿題ぐらいしなくてもいいと言う親もいると思うが、子どもとしては胸の裂けそうな悩みなのかもしれない。夏休みの宿題はいつも夏休みの終わる二週間前から始めた。他にやりたいことはたくさんある。高校受験を迎えるようになってから、勉強をしなかったことが初めて苦痛になった。この痛みがあったのでその後は勉強もするようになった。宿題をやれば、規則正しく過ごせるし、子どもの非行防止にもなる。母親と一緒に宿題をする子どもの姿は微笑ましいし、うらやましくもある。今は、そこに“ChatGPT”という対話型ロボットが加わっている。便利な世の中になったものだと笑みがうかぶ。
これからも、ずっと
これからも、ずっとこのままでいたい。人間として自然にわきあがる気持ちです。でもまた前進するのが人間です。そのエネルギーはどこからくるのか?心からわきあがるチカラなのかもしれません。自分で抑えてもおさえきれないチカラ。「かくすればかくなると知りながら、やむにやまれぬ、大和魂」、世の中には不思議なチカラがあるものです。自分が望んでもいないことになるのに、後悔するのは分かっているのに、してしまう。誰にもあることだと思い、自分をなだめることもあります。