特別な存在
なんと言っても、私の愛読書だ。若い頃はその数も少なく、特に問題はなかったが、歳をとるにしたがってその数も増え、本の管理が難しくなった。時に何処かへしまった本を探して見つからず、それが気になり、心ここにあらずでずいぶん危険なめにあったこともある。執着を離れることがいかに大切かもその時しった。本に関する出来事は読むことだけではない。
バカみたい
バカを見たい。と言うことではないと思う。しかし、引き寄せの法則によって、自分がバカになるとバカがよってくる。ちょっと乱暴な表現で、汗が額から流れる。私はあくまでも、優しくありたいと思っている。優しくと言うと“ねむの木学園”の宮城まり子さんのことが頭にうかぶ。いつも“やさしく、やさしく”が口癖だったと聞く。どうな人生だったのかと?人間に対する興味は尽きない。
この世の地獄をみると、死んだほうがましだ。と思う人もいるのかもしれない。死んで天国にいきたいと。そんな中で宗教は生まれてきたのかもしれない。宗教が盛んな時期はやはり社会が悪い時期と一致するのだろう。現代がそうだ。
医者を長くやっていると、いろんな気づきがある。今は、脳脊髄を研究している。脳脊髄はその周りを水で保護されている。あたかも日本列島のように。
二人ぼっち
昔、天と地があった。そこに人がやってきた。人口はまだ少なく、争いもなかった。人びとは楽園と呼び、エデンと名付けた。今もそんな喫茶店がある。しかし、エデンの東で事故が起きた。それから、みんなは恐怖を覚えた。人を疑うようになった。とても生きづらい世界になった。そこで人びとは心の世界を考えた。この閉ざされた世界の中だけでは自分に正直でありたいと思った。世界は分断された。そして、天国と地獄ができた。
昔、地中海のほとりを中東と呼んだ。現代は中国の東を中東と呼ぶ。確かに、聖書の世界が今、ここにある。聖書とは、予言の書であった。そして、それが現代の中東、日本で起きている。
夢が醒める前に
ロマンチックな夢が好き。周りの喧騒に掻き乱されることがとても嫌だ。時にあまりに周りが無神経に思われることがある。最近は、田舎も賑やかになった。人びとが観光に訪れるという。自然が荒らされるので嫌だと地元の人が言う。そっとしてあげればいいのにな。と思う。でも若者は、それができないのかもしれない。自然よりも人間が好き。という人もいる。いろいろな意見がある。それが自然なのかもしれない。
ざっくりと考えてしまう。菅前総理は「自助、共助、公助」とおっしゃった。社会主義と自由主義。安全にお金をかけるのがきっと社会主義なんだろう。消費税の導入によって、税金を払いたくなければ、物を買わなければいいと言うことになった。確かに自由はただでは手に入らない。
胸が高鳴る
最近の若者は、理屈が好きだ。合理主義者なんだな。私たち年寄りは経験主義者だ。議論するのが楽しみだ。
文学には、ありのままの感情を大切にする派がある。春は胸が高鳴る。
立ち位置によって、意見は異なってくる。昔なら立場の違いと言うことだろう。昔とは違うんだとよく言われる。最近、自分も立場をわきまえた意見が言えるようになって来た。自分の中にいろんな自分がいる。いろいろあってみんないい。良くないのかな?
人間は生まれたときの心の日記には何も書き込まれていないという。1日生きるごとにページが埋められていく。毎日の経験が綴られている。引き返して書き直すことはできない。だから心の日記は怖い。全部本当に経験したことなのだ。夜中に夢見たこともきっと綴られているに違いない。だから私たちは変な夢は見ないようにしなければならない。すべてはこの心の日記によって操られることになる。変なことに胸を高ぶらせてはいけないと思う。