ずっと隣で
なんて思える相手に残念ながらまだ出会ってない
避けていたのかも知れないけど…
歳を重ねるとビックリするくらい、相手にしてもらえない
若い子に言いたい
恋は若い内にたくさんしなさいと
若いだけで、出会う率はかなり高い‼︎笑
結婚したいなら、尚更
いつか出会いたいなぁ…
ずっと隣にいたいなと思う人
マッチングアプリでもやってみようかしら??
何度が挑戦したけど、あれマメじゃないとできないよね?
まず写真がない
写真が嫌いで自分の写真なんてほっとんどないと言うか、ない
ナンパのが自分に合ってる気がする
とりあえず、誰か付き合いたいってマインドから持たなきゃな…
あー、面倒くせぇ
平穏な日常
死ぬしかないだろうなと思う
私にとっての平穏って
頭のオカシイ親を持つと平穏なんてものはない
過ぎ去った日々
好きになった人
私にとっては過ぎ去った日々、過去の人でも、
相手にとってはそうじゃなかったりする
数十年前、私が20歳の頃
大恋愛してた私は彼以外興味がなかった
それを知っても、
好きだ、付き合って欲しいと言って来た男がいて断り続けた結果
数十年過ぎてもまだ忘れないと連絡して来て、
今ではストーカー
悩み事を人に言った事がない私は、
人に相談する仕方が分からない
言えたとしても、冗談っぽくなる
常に1人で悩んで解決して来たのに、
最近パニック障害だと気付く
急に来るのね
息ができなくなって、暴れまくった自分にビックリしたわ
他人の痛みはすぐわかるのに、
自分にたいして労わってあげなかったんだなとしみじみ思う
突発性難聴で倒れて、1人で歩けなくなっても私は強いのに何で?って言ってたらしいし
てかストーカーどうしよな
好きじゃないって言っても来る…
ひなまつり
何の思い入れも、思い出もない
私の父親も母親も結婚してからの家族よりも、結婚前の実両親や実兄弟との家族のが大切
なので
こいつらが作った家族と言うものは世間体のためだけに作った、自分たちは一般的ですと言いたいがためだけの見せしめのグループである
でも私にはこのクソ親との関係が初めての家族なわけで
母方の祖父母からすれば初孫の私
雛人形も母方の祖父母からプレゼントしてもらった
ある程度の年になれば母親が雛人形なんて飾ってくれる事なんてなかった
なんならひな祭りなんてスルー
最近のお代理様とお雛様だけみたいのじゃなく、七段くらいある立派なやつだ
なので私は小学生くらいから自分で飾った
おじいちゃん、おばあちゃんが決して裕福じゃないのは子どもながらに分かってたから
今年も飾ったよ!
おじいちゃん、おばあちゃんありがとう!と言うために、自分で飾った
決して安くない物だろうと感じていたし、
無理をして買ってくれたんじゃないのかな?
その思いを無駄にしてはいけないをじゃないか言う、勝手な私の思いで飾っていた
今思うと子どもらしくない考えよね
ちなみに自分の記憶を元に飾ろうと頑張ったけど、限界があった
でも‼︎
説明書なるものがあり、絵が書いてあったから時間はかかったけど子どもでもなんとか飾れた
すぐ崩れたりしたけど、年々丈夫に飾れるようになった
子どもの時でさえこんなだから、未だに何でも自分でしてしまう
誰かに頼るとか本当にした事ない
配線とか家具とか全部自分でやって来た
分からない、できない事が分かったり、できたりする事が自分にとっての知識になると思うと嬉しくて仕方ないタイプなんだと思う
自分でやってこそ、あーだこーだ言いたいタイプ
年とって、
海外に住む姪っ子たちには直接ひな祭りを教える事ができないから、ひなあられと袴送って祝い方を教えるタイプ
日本のイベントを子どもに教えるタイプになった
自分自身のひなまつりの思い出なんてない
親がやんないから、雛人形飾らなきゃなーくらいなもん
小さな命
10代の頃、私は妊娠した
彼は私と結婚するつもりで付き合っていたんだと思う
妊娠が分かった時、
彼は迷わず産んで欲しい
結婚して欲しいと言った
私にはそんな考えが全くなかった
彼は少し年上で十分に稼ぎもあった
結婚はするつもりは全くないとすぐ言い切れたけど、
子どもに関してはすぐに答えが出せなかった
私の父親は異常な程厳しい人だった
正確に言うと厳しいと言うよりは、自分の所有物(私)が思い通りにならないと胸糞悪くなり暴力を振るって従わせると言う頭のオカシイ奴だ
人がいようが引きずり回して、殴る蹴るなんて当たり前で父親にとってはなんてない事だった
母親に冗談ぽく
デキ婚したらどうする?と聞いたら、
真顔であんたもお腹の子も間違えなく(父親に)殺されるだろうね
と一言だけ言った
結婚前に娘が妊娠するなんて、父親にとっては恥をかかされるのと同等である
私の気持ちより何より我が家での決定権は父親にしかない
あの頃の父親なら、平気で人を殺しかねなかったと思う
それくらい異常な人だった
私は結局産まない選択をした
彼は最後まで土下座してまで産んで欲しいと言ったけど、私は父親を思うと産む選択は絶対にできなかった
私が絶対に産まないと決めてからは、彼もしぶしぶ承諾した
私は外泊なんてできないから、闇医者で堕胎手術をする事にした
彼は良い病院で入院もして欲しいと言ったけど、外泊なんて許される家じゃなかった
妊娠さえ阻止できれば、一生産めない身体になっても仕方ない
どんな方法でも良いから、父親にバレる前に手術しなければ…
それしか頭になかった
私は自分で自分の子どもを殺した
私は自他ともに認める大の子ども好きだ
産まない選択は今までした選択の中で一番辛く、したくなかった選択だった
手術後、あんなに大声をあげて人前(彼)で泣いて罵ったのは後にも先にもない
彼は私との結婚を望んでいたから、子どもができれば私の考えも変わると思っていたんだと思う
だから、ゴムをつけずに妊娠するような事もした
私は怒り狂ったし、もう絶対にあなたとはできないと言う事も言った
絶対にしないと約束するも、約束は破られ私はすぐに妊娠した
若かったとは言え私にも責任はある
その後彼とはすぐに別れた
それから数年は私が産んだ赤ちゃんをあやしていたら首がもげたり、私が産んだ赤ちゃんが死んで呆然とする夢をずっと見続けた
私は自分で自分の子を殺したんだから、恨まれるのも憎まれるのも当たり前だと今でも思ってる
ずっと夢に出て来てくれてもいいとも思ってる
罰は受けるべきだと思うから
今だに産んでいたら◯歳だなと考える
私には子どもを産む権利なんてないと今でも思う
私は妊娠もして堕胎手術もしてるから、若い子にゴムつけろとか言う権利はないかも知れない
でも私みたいな思いはして欲しくないと思う
身体を傷つけて欲しくないと思う
防げる苦しみは防いで欲しいと思う
私は何十年過ぎても小さな命を奪った事、我が子を殺したと言う罪が消える事がない