【あじさい】
あの人に出会ったのはある雨の日
紺色の傘を差して佇んでいた彼の背後には
青い紫陽花がたくさん咲いていた
彼の白い肌にその青がよく馴染んでいて
世の中にはこんなにも紫陽花が似合う人が居るのだと
初めて知った
やがて彼は紫陽花へと手を伸ばし
しばらくすると細い指先が何かを捕らえたのが分かった
よく見るとそれは蝸牛だった
細い指の上、ちょこんと乗った蝸牛
これはこれで似合っていた
そして
彼が蝸牛に向かって微笑みかけたのにドキッとして
私はそのまま恋に落ちてしまった
それから彼を見かけたことは一度もないけれど
紫陽花を見ると彼のことを必ず思い出す
あの紺色の傘
あの白い肌
あの指先
あの蝸牛
あの微笑み
あの日見た光景の全てが
一年経った今でもはっきりと思い出せる
あの人のことは何も知らないけれど
雰囲気や仕草、笑顔
どれも好きだった
まだ新しい恋も見つけられていない
あの人より心惹かれる人に出会えていない
紫陽花の青のように淡い色をした恋心は
今も消えることなく私の胸に残り続けている
【好き嫌い】
美味しいと感じるものの方が少なく
食べるものにはいつも苦労してきた
野菜全般が苦手なため
レストランなどでメニューを見ると
このスパゲティにはグラタンには
どのくらい野菜が入っているのか、などと考えてしまう
「タマネギが入っているからこれは避けよう」
「この写真じゃ野菜が入ってるのかどうか分からないな」
と思うし
実際に注文した料理に野菜が入っていると絶望する
野菜以外にも嫌いな食べ物が多いので
たまに「何を食べて生きているのか」
と言われることがあるくらいだ
もちろん、好き嫌いをしたくてしているわけではない
美味しいと感じれば喜んで食べているし
自分でも面倒くさいことだと思っている
人それぞれ苦手な食べ物があるのは仕方がないと思う
逆に私が美味しいと思うものを
不味い、嫌いだという人もいるわけだ
好き嫌いがあるというのも
ある意味多様性なのかも知れない
健康のことや
さまざまな場面でのことを考えれば
何でも食べられた方がいいのは事実だが
そうすることが出来ないのなら
好き嫌いともうまく付き合わなければと思う
今苦手なものをいつか
食べたい、美味しいと思うその時まで
面倒くさい人で居ようと思う
【街】
人々の嘘に塗れたこの街では
今日も愛想笑いと見え透いた世辞が交わされている
やって来た観光客に金を落とさせるため
張り付いたような笑顔で褒め倒すのだ
もちろん観光客が立ち去れば陰口三昧
「ここは田舎モンがくるようなところじゃねえんだよ」
「もっと金を使えよ貧乏人」
など言いたい放題だ
けれどこの街の住人は外面がいいので
あそこはいい街だ、会う人がみんな温かいなどと
良い評判が広まっている
きっとあなたがこの街に来た時も
住人たちは笑顔で迎えてくれることだろう
「お客さん大歓迎ですよ!」
「ゆっくり見ていってくださいね」
「美味しいものがたくさんだよ。ぜひ食べていってね!」
会う人それぞれが優しい言葉をかけてくれるだろう
あなたは日頃のストレスから解放され
すっかり癒されてから街を出るだろう
そのあとに住人たちが吐く汚い言葉など耳に入らぬまま
満足して家路に着くだろう
【やりたいこと】
何も思いつかない
何もしたくない
何もせずただ朽ちていきたい
やりたいことなんてもうない
やり尽くしたのだ
自分が興味のあるものには片っ端から手を出し
そして興味を失っていったのだ
まずはやってみればいいなどとよく聞くが
さまざまなものに触れていれば
次第に向き不向きは分かってくるし
好き嫌いもはっきりしてくる
だからもう私にはやりたいことがないのだ
やりたいことはやったし
極めるものは極めて
やりたくないものはやらないことにした
明らかに苦手なものからは目を背けた
この世に私がやりたいことなどない
あるとすれば
何もせず朽ちることだけだ
【朝日の温もり】
騒がしい夜を越え
静けさに包まれた朝がやって来た
朝日の温もりは冷え切った心を温め
私に今日を生きる元気をくれる