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12/4/2023, 11:39:02 AM

【夢と現実】

毎日、幸せだ。仕事は順調だし、家に帰れば愛する妻と娘が居る。休みの日は友人とキャンプに出かけることもあるし、家族と旅行に行くことも割とある。
給料だって充分貰っている。同世代の人が貰っている額と比べたら多い方だろう。
体も健康そのものだ。まだ三十代、歳を取って体のあちこちが痛いということもない。俺の両親も妻の両親も健在、今のところ大きな病気もしていない。

本当に、幸せそのものだ。
けれど俺はあの日からずっと、毎日同じ夢を見ている。

「殺さないで!」

暗闇の中で悲痛な声が耳を貫く。金切り声に似たそれは、足元で倒れている男が発したものだ。
このあと、夢の中の俺がこの男に何をするかを俺は知っている。だけど、それを止める術は知らない。

夢の中の俺が振り下ろした大きな石が、鈍い音を立てて男の命を奪う。辺りはしんと静まり返り、俺はその場に立ち尽くしている。

「当然の報いだ」

呟かれた声は自分のものとは思えないほど暗く冷たい。それが恐ろしくて、いつも飛び起きるのだ。多量の汗をかき、心臓が激しく脈打ち、荒くなった呼吸を整えるのにも時間がかかる。

今、現実の俺はこんなにも幸せなのに。昔の出来事が夢となって今の俺を苦しめる。
今だったら、あんなことは絶対にしないだろう。あの頃はまだ高校生だったし、何もかもうまくいかない時に揶揄われたから、ついカッとなって……。

いくら悔やんでも、夢を見続ける。捕まって罪を償うこともなかった俺への罰なんだろうか。
でも、だからってあの男に俺の幸せを邪魔する権利は無いはずだ。十年以上もしつこく夢に出てくるなんて、いい加減にしてほしい。ふざけるなよ。
そう思ったところで、スマホが鳴った。

「――奥様と娘さんが亡くなりました」
「……え?」

交通事故。一瞬にして妻と娘を失ったことを信じられるわけもなく、俺は愕然とする。

そして、俺はあとから知ることになるのだ。妻と娘をわざと轢き殺した犯人が、男の父親だったことを。
裁判の時、男の父親は俺を見て、笑いながら言った。

「当然の報いだ」

――頼むから、夢であってくれ。もう無数に願っているけれど、これは確かに、現実なのだ。

12/3/2023, 10:13:33 AM

【さよならは言わないで】

あたしのことなんてさっさと忘れてよ
あんたには新しい人がすぐ見つかるからさ
あたし? あたしはもういいの
一人で生きていくって決めたから
あたしみたいな余命が短い奴と、誰が喜んで付き合うのよ

でもさ、寂しくなるから
さよならだけは言わないでくれる?
さらっと明るく別れようよ
あー、あんたはそんなこと出来ないか
あり得ないくらい真面目だもんな
ある程度は分かってたけどさあ……
まあ、いつもお互いの家に帰る時みたいに
バイバイ、で別れよう
さよならは言わないで

もし、何年か経ったあとも
あんたがあたしのことを変わらず好きだったら
さよならは、本当のさよならの時に
あんたが言ってよ
あたしに会いに来た時に……ね
だけどさ、あたしは何も返事できないわけじゃん
そういうの、悲しすぎない?
だから、あたしのことはすぐに忘れた方がいいってこと
あたしとあんたのさよならは、ここで永遠に封印しよ
それじゃあね、バイバイ

12/2/2023, 3:58:25 PM

【光と闇の狭間で】

美しい世界が大好きだった
まるで光が降るかのような輝いている街
静かな朝の澄んだ空気
開けた窓から差し込む陽光
この世は光に満ち溢れていると思っていた

けれど街は一瞬にして破壊され
朝から飛び回る戦闘機の音が不安を煽る
闇の中に一日中いるような苦しさが
自分や人々を支配した

あれから時が経ち
街は少しずつ以前の姿を取り戻している
人々の笑顔も戻りつつあった
だけど
二度と元に戻らないものもあった
生涯消えない悲しみもある
それでも生きる限り
人は前を向かければならない
そんな残酷な運命(さだめ)を抱えながら
光と闇の狭間で、生きていく

12/1/2023, 10:20:09 AM

【距離】

「これ、ありがとな」

朝、学校に着くと、昨日隣の席の相川君に貸したノートが返ってきた。

「すっげえ助かった! 今回のテストは、伊藤のお陰でいい点取れそうだわ」
「そう? それなら良かった」

調子がいいこと言ってるだけかも知れないけど、何だか嬉しい。

「伊藤って結構、字綺麗なんだな」
「なに? もっと汚い字を書いてそうに見えた?」
「思ってねーよ。むしろ伊藤らしかったっつーか……あ、いや、今のは忘れて」
「ふふっ、何それ」

照れたように頭を掻いている相川君が面白い。私は思わず吹き出した。

「あー……あのさ。今後も、テスト前にノート貸してくれたら嬉しい。席替えしてからも」
「えー。ノートの予約?」
「そう! 伊藤が他の誰かにノート貸す前に、予約」
「しょうがないなあ……それなら、相川君にだけ貸すね」
「マジで!? よっしゃ!」

素直に喜びを表す相川君が可愛く見えて、その笑顔に胸がきゅんとした。

相川君と私の席の距離は、いつも通り。だけど心の距離は少しだけ近づいた気がしたんだ。

11/30/2023, 10:05:45 AM

【泣かないで】

「大丈夫だから」
優しく言いながら頭を撫でてくるのが切なくて、余計に雫が溢れ出す。
「また会えるよ」
「そんな言葉、信じられるかよ!」
情けない泣き顔のまま叫ぶと、目の前の顔が哀しそうに歪んだ。
「信じてよ」
「……」
「また必ず会えるから。だから、泣かないで」
一度頬を撫でられて、手が離れるとその体温はすうっと消えて。
「またね」
「……ああ」
この温もりが戻ってくることなど二度とないと分かっているのに。俺は涙を拭って、あの人の最後の言葉を信じようと思ってしまった。

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