愛は目に見えない。しかし愛情を持って行動すれば確かに実感することができるものである。
心遣いもそうだ。心は目に見えないが心遣いは確かに実感することができる。
だからこそキチンと行動することが大事である。
いくら相手のことを大切に思っていたとしても相手がそれを感じることが出来なければなんの意味もないのだから。
それが分かった時には私には少々遅すぎたのだが。
太陽の下で部活に打ち込む。これこそ青春だと私は思う。とはいえ季節によっては簡単に人が倒れるので程々にして欲しいとも思う派ではあるのだが。
事実私も中学時代の夏のある日にランニングをしていたところ過呼吸で酷い目にあったことがある。あの時は周囲が冷静に対応してくださったおかげで事なきを得たが、世の中には気合いが足りんなどと言われてそのまま亡くなってしまう人さえも存在する。
そもそも単純に過呼吸になるとキツいのであまり同じ目に合う人が増えて欲しくないという思いもある。
逆に冬の寒い日に運動している学生を見ると
頑張ってるなという気持ちになるので本当に季節次第なのだと思う
夫婦という形に憧れがある人はこの世にどれだけの割合存在するのだろうか?
などと言ってみても世の中には大勢の夫婦が事実としている。例えそれがどんな形であれそれを選んでその関係である人はごまんといる。
しかし私はそれほどその関係に憧れは無い。とはいえ人並みに誰かと付き合ってみたいという欲は存在するのだが。
理由なんてシンプルなものだ。純粋に大変そう、それだけだ。自分にとって最も身近な夫婦がそうだと同じように感じる人もいるのではないだろうか?
皆さんはどうだろうか?
私はいじめられている。それも1人からではなくて複数人から。暴言を吐かれる、物を隠されるなんてのは日常茶飯事、暴力を受けたり金品を要求されたことも1度や2度では無い。
あまりにも酷いいじめに耐えかねて担任の先生に相談したこともあった。しかしその先生は忙しかったのか話半分にしか私の話を聞いてくれず、口頭注意で済ませたようだった。
そのせいでいじめはよりエスカレート、先生の見ていないところでより大胆に虐められるようになった。
再び先生に相談しようにも証拠がなく、加害者側のやってませんという言葉を受けてそれで済まされてしまった。両親から学校に伝えてもらってもあまり改善されているようには感じられない。
周囲に味方のいない私はどうすればいいのだろうか?
私には決して誰にも渡すことのできない大切な大切な宝物が存在する。それはとある1枚のハンカチだ。
といってもそのハンカチを本来の何か拭くために使うということはない。
そのハンカチには中学時代の友人からのメッセージが書かれているからだ。受験が佳境を迎えた時当時通っていた塾の先生が共に受験という強敵と戦う同士として生徒間の結束を強くするために書かせたのだ。それを私は活用して当時の仲の良かった同級生にも書いてもらったのだ。そのおかげでこれはこの世にふたつと無い私だけの応援メッセージ付きハンカチとなったわけだ。
思えば随分と長い付き合いになったものだ。
高校時代は毎日お守り代わりにクリアファイルに入れて持ち歩き、卒業後に引越した時にも忘れずに新居に移した。
この宝物を失う時それ即ち私が人としての心を失った時である。そう信じている。