どうして彼女がいるのに、私なんかに優しくするの?
SNSで知り合った男性、相互フォローで共通の趣味のある彼。
ある日私は、SNS内で叩かれた。特に悪いことをした覚えはないけれども、叩かれた。
外野は煽るだけで、私を擁護する人などいなかった。面白がって一緒に引用して叩いたり、空リプでリアクションをとったり。
そんな時に助け船を出してくれたのが彼だった。表で私を守ってくれて、裏のメッセージでは励ましてくれた。
そんなことをされたら、好きになっちゃうじゃない。
それがきっかけで、電話をするようになった。
毎日メッセージのやりとりを、おはようとおやすみの二回は確実にしてくれて。
まさかオフ会とは言えない人数だけど、何人かで一緒に会ってくれた。
その会った時に紹介された、彼には彼女がいる、と。彼の隣におしとやかな女性がいて、それが彼女だ、と。
どうして彼女がいるのに、こんなに私に優しくしてくれるの?
彼女の方も嫉妬とかしないの?
私だったら絶対に妬いてしまう。彼女でもないのに、今現在、妬いている。
それが彼の長所なのかもしれない。でも、私がその気になっちゃうじゃない。
あの時助けてくれたのは、本当に感謝している。感謝してもしきれないくらいに。
だけど、これ以上、優しくしないで……。
【優しくしないで】
心の中の色はいつもカラフル。
楽しいことや嬉しいことがあったら、明るい色だし、悲しいことや辛いことがあったら、寒色系になる。
痛い時は刺激的な赤だったり、鈍痛だと紫だったり、同じ痛いでも色んな色がでる。
でも、色が薄れる時がある。
それが所謂、鬱の期間なのかもしれない。
それまで色んな色があったはずなのに、ぱったりと薄れてモノクロの世界になるのだ。
濃淡はある。だから薄い時はやる気のないぼーっとしている期間、濃い時はむしゃくしゃして怒ったり泣いたり。
人生山あり谷ありだから、カラフルな時もあればモノクロな時もある。
同じ人生なら、心に彩りを、カラフルな人生のほうがいいよね。
【カラフル】
温泉に入ると、思う。
ここは楽園だなぁ、と。
生まれたままの姿で、ゆっくりと肩まで浸かって、のぼせそうになったら腰かけて浸かって、調節しながら入る。
人によっては、サウナの方が整うというけれども、私は断然、温泉派である。露天風呂だとなおよし。
その浸かっている温泉には効能があったりする。リラックスして入りながら、美肌や腰痛や肩こりなどに効くとは一石二鳥すぎる。
露天風呂なら、四季折々の景色をみることができる。
冬は寒くて夏は暑いが、それでこその露天風呂だ。
鳥のこえが聞こえたり、川のせせらぎがきこえたり。
紅葉を楽しめたり、新緑の気持ちよさ、真っ白の世界に雪を溶かす温泉。
五感全てで楽しめるのだ。
時にはお酒を呑めることもある。
裸で効能のあるお湯に浸かって四季を感じながらお酒をいただく。
極楽、なんて言葉を聞くが、実際の極楽に行ったことがないので、私はこれを「私の中の楽園」だと思っている。
【楽園】
病室の窓は換気のために少しだけ空いていた。
新年度が始まり、普通だったら私も今頃、高校生活をスタートしていたはずだろう。
でも、ちょっとした事故で、現在ベッドで寝たきり生活。ようやく上半身を二十度くらい起こせるくらいになった。
少しあいた窓からは、もう桜のピンク色は見えず、萌える緑色の葉っぱ達だけが見えた。
風は北風から南風にかわり、少し温かい。
そんな風にのって、どこからか歌声が聞こえてきた。
ここは五階なので、外からは聞こえないと思うのだけれども……と、なると、同じ病室から?
風も心地よいけれども、歌声もまた柔らかで心地よい。日向ぼっこに最適な日差しも差し込み、私はだんだんとうとうとしてきた。
あわよくば、歌声だけでなく、私も風にのってこの病室から抜け出したいなぁ。
【風にのって】
飛び出してからは一瞬だった、これが『刹那』と言われるものだと思った。
嫌いなことも、怖いものも、最初の一歩はすごく踏み出すことを躊躇する。
バンジージャンプのようなアトラクションも、受験や会議のような場面も、注射や手術のような治療も、謝罪や報告のようなことも。
行うまではハラハラで怖くて逃げ出したくて。
でも、いざやってしまうと、それは一瞬の出来事で過ぎ去ってしまう。
もう終わってしまった、という呆気なさと達成感。または、やってしまった、という罪悪感と虚無感。
どちらに転ぶかは内容次第だが、一瞬その瞬間、刹那、決まってしまう。
真剣を振りかざしたその刹那、などと時代小説ではよく聞くが、それと比べたら時間的には長いものの、長々と悩み苦しんでいた時間と比べると、最初の一歩を踏み出したあとは、刹那のように感じるのではないだろうか。
【刹那】