【落ちていく】
二歳児くらいの子は、パタパタと丘を駆けていく。
「みててね~!」
そういうと、自分の身体の半分くらいある、ピンク色の大きなボールを下に向けて、放り投げた。
ボールは弾みをつけて、ポンポンとリズミカルに下へと落ちていく。
自分で投げて、転がり落ちたボールを、きゃっきゃと笑いながら追いかけ、それを抱え、また上へとのぼる。
「みててね~!」
その子は、また、先ほどと同じようにボールを放り投げる。そしてそれを見ては笑うのであった。
何が面白いのだろう。
ボールが下へと落ちていっているだけなのに。
「誰に『みててね』って言ってるの?」
「ママ! あのね、そこにいるパパにみててもらってるの!」
ママと呼ばれた彼女は、信じられない、といった表情で、こちらを見る。
「みててね~!」
私は見てることしかできない。
私のからだをすり抜け、ボールはまた下へと落ちていくだけだった。
とある昼下がり、主任が休憩に行っている最中に、後輩が私に訪ねる。
「主任って、なんで離婚したんですかね?」
洗い物のグラスを落としかけそうになる私。
「はい?」
「今日って、いい夫婦の日じゃないですか、主任はその日に結婚したのに、離婚してるの、不思議ですよね?」
後輩にとっては素朴な疑問だったのかもしれない。
「好きで結婚して、色々知って夫婦になって、記念日まで作ってるのに、なんで離婚するんだろう」
「後輩くん、それはね、外野がとやかくいう話じゃないんだよ。夫婦になるのも大変だっただろうけど、夫婦になってからも、好きだけじゃなんともならない大変さがあるんだよ」
「ふーん、そういうものですか」
本当にわかったのかは知らないが、一応私なりに諭してみた。
なんだか今日は、やけに空調がきいている気がした。
【夫婦】
大好きな人と別れた。
付き合って五年、きっとこのまま結婚するものだと思っていたのに。
『ごめん、別れよう』
対面でなく、電子の文字でそれだけ。
もう何もしたくなくなって。
ご飯を食べる気力もなくて、寝るにも眠くなくて、散財してやろうにも元からお金はなかった。
死のうかな、と思ったけど、よくやり方がわからなくて諦めた。
誰かに殺してもらいたかったけど、そんなお願いを聞き入れてくれる人も身近にはいなかった。
何をするにも何もない。何のために生きているの?
一体、どうすればいいの?
【どうすればいいの?】
よく、子どもは宝物だ、なんて言うけど、僕はそうと思わない。
キラキラしたものが宝物かと問われれば、それも僕は賛同しかねる。
高価なものなら価値のあるもの? それもなんだか違う気がする。
それじゃあ、僕の宝物はなんなのか。
平和に生きていられる事が、そうなのかな、という考えに落ち着く。
僕はちょっと昔に、子どもができるはずだった。でも、パートナーの都合で、その所謂「宝物」を見ることはできなかったし、悲しくもなかった。
生まれて初めて、婚約指輪というキラキラしたものをもらったけど、別にそれも「宝物」とは言えなくて。
君のほしいものを何でも買ってあげる、と、マンションや車などの高価なものを貢いでもらっても「宝物」だとは思わなかった。
今、無機質の天井を動けぬ身体でぼんやり見つめて思うんだ。
自由に動けて、普通に喋れて、平和にすごせる日常が、ありきたりながら、「かけがえのない宝物」なのだ、と。
【宝物】
暗い夜に道しるべのように、寒い冬に一時の温もりを。
ある人は色をつけた。
またある人は香りをつけた。
色々とまざりあって、一番「ゆらいでいる」のは私だと気付く。
元の自分ってなんだったっけ。
人に光を示して、人に温かさを与えていた自分はどこにいったっけ。
自分で自分を見つめなおす。
そんな私の「ゆらぎ」で、人はまた癒されているらしい。
【キャンドル】