とある昼下がり、主任が休憩に行っている最中に、後輩が私に訪ねる。
「主任って、なんで離婚したんですかね?」
洗い物のグラスを落としかけそうになる私。
「はい?」
「今日って、いい夫婦の日じゃないですか、主任はその日に結婚したのに、離婚してるの、不思議ですよね?」
後輩にとっては素朴な疑問だったのかもしれない。
「好きで結婚して、色々知って夫婦になって、記念日まで作ってるのに、なんで離婚するんだろう」
「後輩くん、それはね、外野がとやかくいう話じゃないんだよ。夫婦になるのも大変だっただろうけど、夫婦になってからも、好きだけじゃなんともならない大変さがあるんだよ」
「ふーん、そういうものですか」
本当にわかったのかは知らないが、一応私なりに諭してみた。
なんだか今日は、やけに空調がきいている気がした。
【夫婦】
大好きな人と別れた。
付き合って五年、きっとこのまま結婚するものだと思っていたのに。
『ごめん、別れよう』
対面でなく、電子の文字でそれだけ。
もう何もしたくなくなって。
ご飯を食べる気力もなくて、寝るにも眠くなくて、散財してやろうにも元からお金はなかった。
死のうかな、と思ったけど、よくやり方がわからなくて諦めた。
誰かに殺してもらいたかったけど、そんなお願いを聞き入れてくれる人も身近にはいなかった。
何をするにも何もない。何のために生きているの?
一体、どうすればいいの?
【どうすればいいの?】
よく、子どもは宝物だ、なんて言うけど、僕はそうと思わない。
キラキラしたものが宝物かと問われれば、それも僕は賛同しかねる。
高価なものなら価値のあるもの? それもなんだか違う気がする。
それじゃあ、僕の宝物はなんなのか。
平和に生きていられる事が、そうなのかな、という考えに落ち着く。
僕はちょっと昔に、子どもができるはずだった。でも、パートナーの都合で、その所謂「宝物」を見ることはできなかったし、悲しくもなかった。
生まれて初めて、婚約指輪というキラキラしたものをもらったけど、別にそれも「宝物」とは言えなくて。
君のほしいものを何でも買ってあげる、と、マンションや車などの高価なものを貢いでもらっても「宝物」だとは思わなかった。
今、無機質の天井を動けぬ身体でぼんやり見つめて思うんだ。
自由に動けて、普通に喋れて、平和にすごせる日常が、ありきたりながら、「かけがえのない宝物」なのだ、と。
【宝物】
暗い夜に道しるべのように、寒い冬に一時の温もりを。
ある人は色をつけた。
またある人は香りをつけた。
色々とまざりあって、一番「ゆらいでいる」のは私だと気付く。
元の自分ってなんだったっけ。
人に光を示して、人に温かさを与えていた自分はどこにいったっけ。
自分で自分を見つめなおす。
そんな私の「ゆらぎ」で、人はまた癒されているらしい。
【キャンドル】
今まで何十年と生きてきて、こんなこともあった、これは忘れられない思い出になる、なんて、思い返せることが昔はあった。
ただ、高齢者の部類になった今、身近な人に、昔もこんなことしたよね、と、言われてみても、全く思い出せないことが増えてきた。
おかしいな、初めて君に会った日も、初めて君の家に行った時も、初めて子どもが生まれた日も、自分の親がなくなった日も、ほんの前なら思い出せたはずなのに。
そもそも、今このベッドで横たわっている「君」は誰だったっけ?
確か、「君」と数えきれない思い出を作った気がする。
でも……
「お前さんや、大切な人なのは思い出せるんだけど、誰だったかの?」
ベッドで横たわっている君は、なんの返事も返してはくれなかった。
【たくさんの思い出】