「後悔」
のちにくやむ。あの時こうしてれば良かった、あの人にこうしてあげれば、こう言ってあげれば良かった。
残酷ではあるが、そんな世界線は存在しない。やらなかった、言わなかったことが事実で全て。
木が幹から枝を伸ばすように、今この瞬間から色んな未来がある。ように見えてきっとある程度決まっている。
未来を諦めている訳では全くない。幹を、自分の軸を明確にもつこと。それがあれば後悔をする事はない。
今の生き方に後悔はしてない。
「風に身を任せ」
向かい風も振り返れば追い風になるという考え方はまあ嫌いでは無いが、時として向かい風に立ち向かう瞬間が必要だとも思う。神とやらの上位存在が、自分に対して課題を投げかけている、と勝手に解釈している。
風に「身を任せる」という意味では向かい風に向かう時点でズレている気もするが、常に追い風の人生なんて楽しくないだろう。向かい風を知っているからこそ追い風が心地よく感じるし、思いっきり身を任せることが出来るのだろう。
「失われた時間」
この世の基本は等価交換だ。
欲しいものを手に入れるにはお金を払わないといけない。何かを得るためには何かを失わなければならない。
時間でも同じだ。
例えばある学問の勉強をしたいとする。そこには教材をお金を払って買い、相応の時間を消費して、勉強する。という等価交換の過程がある。
では、後にそれを勉強した意味が無くなるような事があったとしたら?時間をかけたが成果に繋がらなかったとしたら?ここで問題なのはお金ではなく時間の方だ。彼にとって意義のある時間であったならそれは失われたのではなく経験に交換されたといえるだろう。そうでないなら失われた時間であり、全くの無駄というものだ。
今からやろうとしている事は自分にとって意義のある事なのか?成果の如何に関わらず経験として吸収できるだろうか?
時間を失うことがないように。
「子供のままで」
子供の頃、ただ大人になりたかった。
子供というのは、可能性の塊だ。よく言えば努力次第で何にでもなれる。悪く言えば可能性の幅が広い代わりに浅い。可能性の全てをものにするなんてことはまず不可能だ。
コーンフレークの栄養表示のようにはなれないし、なろうとする必要はない。
大人になるにつれてある分野において深く、鋭くなっていくイメージだと思う。もちろんその他の分野はそれ以上伸びない。
そういった、「不可能」を身をもって知ることを積み重ねることが大人になるということなんだろう。
ナナミンも
「小さな絶望の積み重ねが人を大人にする」
と言っていた。
今でもたまに子供の頃を懐かしく思ったり、戻りたいなと思う瞬間がある。あるけど、現在の方が好きかなと思う。
もし人生をやり直せたとしても同じ道を辿っていると思う。
「モンシロチョウ」
蝶のように舞い、という言葉に代表されるように美しさと言えば蝶というイメージがある。
美しさにもいくつか分類があり、色っぽいとか妖艶のような美しさではなく、触れるだけで崩れてしまう砂の城のような儚さ、強さや生命力を感じさせず、守ってあげたいと思わせる不思議な魅力があり、それこそ一種の「美しさ」だと思う。
小学生のとき、モンシロチョウを幼虫から育てたことがある。特段虫が好きだったという訳ではないが、どんな風にサナギになって、蝶になるのか。ものすごく興味があった。
生活の中でサナギや蝶の状態は見たことがあったが、実際に変化する瞬間を見たいと思った。
正直幼虫からサナギになる瞬間は全く覚えていない。時間も経っているし、予想通りの変化で記憶に残らなかったのだろう。しかしサナギを破って蝶になった瞬間はものすごい衝撃を受けた。見惚れていた。