会社の同じフロアーで
仕事している人達が使って
いるマグカップには、
人それぞれの個性が
表れている様な気がする
一見、オシャレなマグカップ
使ってそうな人が、普通の
マグカップ使ってたり
あまり拘りなさそうな人が
スタバ特製のマグカップ使って
いたり
気の強そうな人が、可愛いい
キャラクターのマグカップとか
どうしてもインドアっぽい人が
サーモスのキャンプで使う様な
マグカップで飲んでいたり
その人の違う一面が、わかる
様で 面白い。
マグカップの中身は 皆さん
コーヒーだと思うが、機会が
あったら何を飲んでるか
聞いてみたい気もするが
今のご時世 それは聞かない方が
良さそうです。
#マグカップ
子供がまだ小学生になる前の
頃だつたと思う
その日は、近くの空港で開催
されていたイベントに家族で
出かけて、子供の世話をしていた時に
隣に人の気配を感じ その人の
方に振り返ろうとした瞬間
聞き覚えのある声で
「子供は、あなたのお子さん?」
て聞いてきたので
「そうです」と答えた
声を掛けてきたのは、以前付き合っていた
人だった
「 幸せそうで 良かった」
の言葉と笑顔を残し その人は その場から
離れて行った
その人の後ろ姿は、付き合っていた頃の
ままだった。
もしも君が 「幸せそうで良かった」
ではない言葉を僕に話したら
君と もう一度 会って 話がしたい
と思える様な 素晴らしい記憶には
ならなかったと思う。
#もしも君が
試験の朝には
いつも学生寮の同室の
Nは、ビートルズのレツトイツトビー
をヘッドホンで聞いていた
いつも通り
試験の前にNが聞き終えた
後、「なんで いつもレツトイツトビー
なの?」って聞いたら
「レツトイツトビーの訳は
なすがままに ある意味
どうにでもなれ だから
今の僕の気持ちなんだよ」
って話してくれた
成績の良いNでも 試験の前の
憂鬱さは一緒で だからリラックス
するために 聞いてたのか
皆んな一緒なんだなって思ったことを
記憶している
試験の結果は 相変わらずNは
良くて、それに比べて僕の試験
結果は まさにレツトイツトビー
(どうにでもなれ)だった。
今でも レツトイツトビーを聴くと
Nの事と あの憂鬱な試験の前を
思いだしては 懐かしんでいる
#君だけのメロディー
「坊ちゃん」「吾輩は猫である」
の作者である夏目漱石が
英語教師をしている頃
生徒が I Love you を
「我 君を 愛す」と訳したのを見て
日本人は 「我 君を愛す」よりも
「月が 綺麗ですね」と伝えた方が
気持ちが通じると生徒に教えた
との逸話が残っているが
まさに 名訳だと感心してしまう
機会があったら 是非 使いたい
言葉なのですが、まずは
「月が綺麗ですね」と伝えたい
人と いつになったら出逢えるかが
先なのですが、、
#I Love
梅雨空の中
雨音にに包まれながら
の散歩の楽しみは
雨音に包まれて
赤い花を さらに赤く
咲いている紫陽花に出逢えたり
雨音に包まれて
葉っぱから 雨雫を
リズム良く地面に
落としている様子を
足を止めてしばし鑑賞したり
雨の日の散歩ならではの
風景に出会えることだ
ただ、花や木ばかり観てて
水溜まりで靴を水浸しに
してしまう事もあるので
雨音に包まれるのは良いけど
雨水には 包まれない
様に気を付けないといけない。
#雨音に包まれて