ありがとう、ごめんね
仲が良く信頼できる友がやらかしたり迷惑かけた時に、きちんと謝ってくれる奴の信頼度は変わらない。
反省できるってことは常識人だから、こっちも批判せずにいると「ありがとう、ごめんね」と改めて謝ってくれる。
お互いの許容範囲が広くてトラブってもこれでチャラにできるくらいの関係性って素敵よね
部屋の片隅
どんな誰にとってもそこは心地良く快適な空間
誰にも見られずに、思うがままに欲を発散できる。
ある種、無法地帯のようなもの。
嬉しい時でだろうが、悲しい時でだろうが、苦しい時であろうが
部屋の片隅は、目に見えない住人として期待通り平常に戻るまであなたに寄り添ってくれるだろう
逆さま
発展し栄えた地域で美味しいものを食べて、お酒を飲んで、好きな曲を好きなだけ歌ったり私利私欲を満たしてきた。
そんな自分のようなスタンスや考えのない異なる環境に生きる人は私利私欲を満たせないのだろうか。
逆だからと言って、満たす満たせないの対義にならない。
幸せの形なんていくらでもあるだろ。世俗が違えど、自分にとっての幸福観があればそれで良い
夢と現実
夢と現実を行き来すればするほど、塩梅よく生きられる。
本当なら理想に浸っていたい、けど現実を見返すことで我を失わずに突き進めれる
夢に支配された自分はもはやそれに抵抗できない空っぽな存在。
擬似体験ほど幸せなひと時はないのだから。浸りたい時はテメエのタイミングでとことん浸ればいい。
そんな現実と夢との乖離が大きいという事実を受け止めながらもめげずに努力出来る人は偉大である。
泣かないで
泣くまでの過程って色々あるよな。悲しみ、喜び、痛み、しんどさ
そんないっぱいある中でも、結局泣く時ってその人の本質がみえて興味深い。
泣いている時ほど、その人の気持ちに寄り添って上げたいし、抱きしめたいと思ってしまう。それが偽りの涙だったとしても。それほど残酷なことはない。
泣くことで全て吐き出され浄化される。そんな感情の一種がストレスという老廃物から身を救っていると考えたら、泣くことも恥じちゃいけないと思ってくるな。