今より暑くなって
今より高くなって
今より寂しくなって
でも
今より道が広がる
今より斬新なイメージが広がる
だから僕は運命と言うエレベーターに乗って人を幸せにしていけばいい
雨の日だった。
コンコンと扉を叩く音が聞こえたので玄関に向かった。
扉を開けるとそこには中学生頃の少女が立っていた。
目が合った途端にその子が精霊だと分かった。姿形はまるで少女なのに水の様などこか不安定な。
救われる人と救えなかった人が常に同じ人数だとしたら、救えなかった人はどうしてそっち側になってしまったのだろうか。ただの風邪でも立場や権力の差で致命的な病になる。もし自分1人の命と100人の命だったら君はどっちを選択できる?それがもし100人じゃなくて1000人、10000人だったらどうする?きっと僕は「自分が生き残る選択」が出来ないだろう。自分が生き残ってとしても100人、1000人、10000人の命を救える自信がないからだ。自分が生き残るかつみんなを救う自信や確信が自分の中にあるとは思えない。
僕は苦しみ続ける必要がある。
自分の迷いを断ち切れるようになれるまで。
時々ボーっとしているとき思うことがある。“死んだらどうなってしまうのだろうか”と。死んだら何も感じなくなると言うが、何も感じなくなると言うのはどう言うことなのだろうか。夢を見ている時の感覚に似ているのだろうか?何か夢を見ているわけではない夢のときこそ、起きると全て忘れてしまう。それに自分が怪我をしているわけではないのに痛くなることはないだろうか?例えば医療系ドラマを見ていると自分も共鳴するように痛い気がする。それも具体的に。インサイドヘッドと言う映画を見たことがある。少女の頭の中で色々なことが起きるのだ。あれは分かりやすく見やすく作られているが、どうなんだろう。今まで無意識の領域で頭の中で議論が起きていた。ボーっとすると代表のファーストペンギンが紙を丸めて持ってくる。頭いっぱいに紙を広げてそれ以外が見えなくなる。
ここは田舎だから遠くの街がよくわからない
都会に出たいと思わない
都会は人工物が多いせいか誰と一緒に居たとしてもどこか孤独感を感じる。コンクリートそのものの冷たさと、自然の声が聞こえない寂しさ。アスファルトの罅に生えている雑草は小さなホームレスに見えるのは僕だけじゃないだろう。そんなとこに生えなくてもいいところがあるのに。森の中に生えていた方が幸せだと思うのに。車のタイヤや鳥の糞に混じった種がそこで生きているんだろう。川の音や夏の河頭の鳴き声の代わりに聞こえてくる車の足音。都会を歩いていると自然を壊した人工物に見下されている感覚になってしまう。都会がものすごく嫌いなわけではないが、都会の良さが分からないだけだ。腹の中からコンクリートが生成されてきそうで。いつしか自我がなくなってしまいそうで。