“終点”
長い長い人生の線路を
私と言う列車が進んで行く
ある時は新幹線のように早く
ある時は急行で
でもこれからは
各駅停車で進んで行こう
途中で下車したお客様や
今も楽しく乗車してくれてるお客様
新しい駅で新しいお客様を乗せながら
楽しい旅になるように
終点までゆっくり進んで行こう
“上手くいかなくたっていい”
”人生100年時代“と
良く耳にするようになった
そうなると
50歳から人生折り返し地点?
折り返し地点になって
今までを振り返ると
楽しく波乱万丈な人生だった
50歳の時に灯し忘れたロウソクに
火を灯す様に“bucket list”を作った
結構考えていると
たくさんの経験をして来たと思っていても
やりたい事ややり残している事は
ある物だと気付かされた
昔は何をするにも上手やらなくちゃ!など
かなり無理して生きてきた気がする
見栄や変なプライドや嫌われたくない思い
今ではそんな昔の自分を
客観的に見る事が出来るようになった
今、私の”bucket list“は
一つ一つゆっくりと実行されて
ロウソクの灯が消されていく
上手くいかない事もあるけど
”上手くいかなくたっていいじゃん“
だって、最後の“bucket list”の
ロウソクの火を笑顔で消せれば
それはそれで
私の人生に悔い無し!
”今一番欲しいもの“
この歳になると
何が欲しいのか特に思い浮かばない
物欲は少しずつなくなっていくのか?
いや!自分が昔からないだけなのだ
若い時ならきっと
物欲は無いけど何かしら
欲しいものがあって
自分でバイトしたり
彼氏にプレゼントしてもらったり…
改めて考えてみると
今、自分が欲しいものは
一つだけあった
それは、バックでもない
服でも化粧品でも車でもない
私が今一番欲しいものは
“幸せな時間”
きっとこれからもずっと
これだけあれば生きていけると思う
“入道雲”
”あれ、ラプュタみたい“
うちの子供達は決まって
入道雲を見ると言っていた
“言うと思った”
これがお決まりの私のセリフ
いつの間にか
そんな子供達も大きくなり
入道雲を見ても
あのセリフは出てこなくなった
当然私のセリフも無くなった
もうすっかりあの時の
会話は忘れていた
久しぶりに子供達が
夏休みに孫を連れて遊びに来た
孫達が庭で水遊びをしているのを
私は微笑ましく見ていた
すると
”あれ、ラピュタみたい“と
孫が大きな入道雲を指差して言った
どこか懐かしいセリフ
私は忘れていた
私のセリフを言おうとした瞬間
“言うと思った”と息子が言った
その時思った
我が家の入道雲のセリフは
”代々受け継がれて行くかも“と
“夏”
私は夏が嫌いだ
最近の夏は暑くて仕方がない
なんてね!
実は夏になると思い出す事があるから
あれは私がまだ20代
蝉の鳴き声がうるさいぐらいだった
私は社会人2年目
土曜日の夜
ほとんど家にいない時間に
たまたま家にいた
部屋でくつろいでいると
家の電話が鳴った
相手は幼馴染の一人
すると彼女は唐突に言った
『◯◯が自殺した』と。
私はその言葉を理解するまでに
暫く時間がかかった
そう、夏の暑い日に
私のもう一人の幼馴染が
自ら命を終わらせてしまった
助けられなかった悔しさ
大事な人を失った悲しさ
もう会えない寂しさ
そして、気付いてあげられなかった
自分に対する怒り
20年以上経っても
毎年命日になると思い出す
だから、私は毎年命日に
花と一緒に楽しかった頃の
写真を持って会いにいっている
なぜか私達の写真のほとんどが
楽しそうな笑顔で
夏の日差しに包まれていた