”今一番欲しいもの“
この歳になると
何が欲しいのか特に思い浮かばない
物欲は少しずつなくなっていくのか?
いや!自分が昔からないだけなのだ
若い時ならきっと
物欲は無いけど何かしら
欲しいものがあって
自分でバイトしたり
彼氏にプレゼントしてもらったり…
改めて考えてみると
今、自分が欲しいものは
一つだけあった
それは、バックでもない
服でも化粧品でも車でもない
私が今一番欲しいものは
“幸せな時間”
きっとこれからもずっと
これだけあれば生きていけると思う
“入道雲”
”あれ、ラプュタみたい“
うちの子供達は決まって
入道雲を見ると言っていた
“言うと思った”
これがお決まりの私のセリフ
いつの間にか
そんな子供達も大きくなり
入道雲を見ても
あのセリフは出てこなくなった
当然私のセリフも無くなった
もうすっかりあの時の
会話は忘れていた
久しぶりに子供達が
夏休みに孫を連れて遊びに来た
孫達が庭で水遊びをしているのを
私は微笑ましく見ていた
すると
”あれ、ラピュタみたい“と
孫が大きな入道雲を指差して言った
どこか懐かしいセリフ
私は忘れていた
私のセリフを言おうとした瞬間
“言うと思った”と息子が言った
その時思った
我が家の入道雲のセリフは
”代々受け継がれて行くかも“と
“夏”
私は夏が嫌いだ
最近の夏は暑くて仕方がない
なんてね!
実は夏になると思い出す事があるから
あれは私がまだ20代
蝉の鳴き声がうるさいぐらいだった
私は社会人2年目
土曜日の夜
ほとんど家にいない時間に
たまたま家にいた
部屋でくつろいでいると
家の電話が鳴った
相手は幼馴染の一人
すると彼女は唐突に言った
『◯◯が自殺した』と。
私はその言葉を理解するまでに
暫く時間がかかった
そう、夏の暑い日に
私のもう一人の幼馴染が
自ら命を終わらせてしまった
助けられなかった悔しさ
大事な人を失った悲しさ
もう会えない寂しさ
そして、気付いてあげられなかった
自分に対する怒り
20年以上経っても
毎年命日になると思い出す
だから、私は毎年命日に
花と一緒に楽しかった頃の
写真を持って会いにいっている
なぜか私達の写真のほとんどが
楽しそうな笑顔で
夏の日差しに包まれていた
“子供の頃は”
良く息子達に言われる
”母の子供の頃は“と言うと
“時代が違うから”と
確かに昔と今ではかなり違う
携帯なんかなかったし
テレビもアナログ
遊び場はグランドや公園
駄菓子屋さんもよく行った
でも子供の頃の気持ちって
きっとあまり変わらない
ような気もする
あれもやってみたい
これもやってみたいとか
夢を持っていて
目もキラキラしていたような
泣きたい時に泣いて
笑いたい時は思いっきり笑った
だから幾つになっても
子供の頃の気持ちは
忘れないでほしいな
なんてね!
“日常”
アラフィフって何だか
中途半端だと感じてしまう
ひと通り子育ても終わり
まだ、親も元気だったりして
特に忙しいわけでもなく
暇でもない
仕事もまだ普通に出来て
ただ、更年期障害との闘い
頑張れば身体も動く
まだボケている訳でもない
別に若い時のように
大恋愛がしたい訳でもなく
飲み友達だけいれば
良いと思っている
けれど恋愛ドラマなど見ていると
ちょっと羨ましく思ったり
日々の日常をこなしていく
けれど、この日常の中で
小さな幸せを感じる事が
上手くなった
余裕が出来た分
人に優しく出来るように
なった気もする
アラフィフって
案外悪くないかもしれないって
感じる今日このごろです