ちっちゃなはは

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7/21/2024, 1:39:40 PM

”今一番欲しいもの“

この歳になると
何が欲しいのか特に思い浮かばない
物欲は少しずつなくなっていくのか?
いや!自分が昔からないだけなのだ

若い時ならきっと
物欲は無いけど何かしら
欲しいものがあって
自分でバイトしたり
彼氏にプレゼントしてもらったり…

改めて考えてみると
今、自分が欲しいものは
一つだけあった

それは、バックでもない
服でも化粧品でも車でもない
私が今一番欲しいものは
“幸せな時間”
きっとこれからもずっと
これだけあれば生きていけると思う

6/29/2024, 4:39:12 PM

“入道雲”

”あれ、ラプュタみたい“
うちの子供達は決まって
入道雲を見ると言っていた
“言うと思った”
これがお決まりの私のセリフ

いつの間にか
そんな子供達も大きくなり
入道雲を見ても
あのセリフは出てこなくなった
当然私のセリフも無くなった
もうすっかりあの時の
会話は忘れていた

久しぶりに子供達が
夏休みに孫を連れて遊びに来た
孫達が庭で水遊びをしているのを
私は微笑ましく見ていた

すると
”あれ、ラピュタみたい“と
孫が大きな入道雲を指差して言った
どこか懐かしいセリフ
私は忘れていた
私のセリフを言おうとした瞬間
“言うと思った”と息子が言った

その時思った
我が家の入道雲のセリフは
”代々受け継がれて行くかも“と

6/28/2024, 3:00:16 PM

“夏”

私は夏が嫌いだ
最近の夏は暑くて仕方がない
なんてね!
実は夏になると思い出す事があるから

あれは私がまだ20代
蝉の鳴き声がうるさいぐらいだった
私は社会人2年目
土曜日の夜
ほとんど家にいない時間に
たまたま家にいた

部屋でくつろいでいると
家の電話が鳴った
相手は幼馴染の一人
すると彼女は唐突に言った
『◯◯が自殺した』と。
私はその言葉を理解するまでに
暫く時間がかかった
そう、夏の暑い日に
私のもう一人の幼馴染が
自ら命を終わらせてしまった

助けられなかった悔しさ
大事な人を失った悲しさ
もう会えない寂しさ
そして、気付いてあげられなかった
自分に対する怒り

20年以上経っても
毎年命日になると思い出す
だから、私は毎年命日に
花と一緒に楽しかった頃の
写真を持って会いにいっている

なぜか私達の写真のほとんどが
楽しそうな笑顔で
夏の日差しに包まれていた

6/23/2024, 2:13:01 PM

“子供の頃は”

良く息子達に言われる
”母の子供の頃は“と言うと
“時代が違うから”と

確かに昔と今ではかなり違う
携帯なんかなかったし
テレビもアナログ
遊び場はグランドや公園
駄菓子屋さんもよく行った

でも子供の頃の気持ちって
きっとあまり変わらない
ような気もする

あれもやってみたい
これもやってみたいとか
夢を持っていて
目もキラキラしていたような

泣きたい時に泣いて
笑いたい時は思いっきり笑った

だから幾つになっても
子供の頃の気持ちは
忘れないでほしいな
なんてね!

6/23/2024, 2:35:43 AM

“日常”

アラフィフって何だか
中途半端だと感じてしまう
ひと通り子育ても終わり
まだ、親も元気だったりして
特に忙しいわけでもなく
暇でもない

仕事もまだ普通に出来て
ただ、更年期障害との闘い
頑張れば身体も動く
まだボケている訳でもない

別に若い時のように
大恋愛がしたい訳でもなく
飲み友達だけいれば
良いと思っている
けれど恋愛ドラマなど見ていると
ちょっと羨ましく思ったり

日々の日常をこなしていく
けれど、この日常の中で
小さな幸せを感じる事が
上手くなった
余裕が出来た分
人に優しく出来るように
なった気もする

アラフィフって
案外悪くないかもしれないって
感じる今日このごろです

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