それは、
とても小さくて、臆病で、
触れると簡単に花びらが散ってしまう。
いや。枯れてしまうという表現が正しいだろうか。
その「花」は、人によって見え方が違う。
形も、色も。
その時時によって全く違うんだ。
そうだなあ。
その繊細な花は、
今日は私から見ると
「タンポポくらいの大きさ」
「色は黄緑色」
「形はしずく型」
心の綺麗な人にしか、
この繊細な花を見ることも、感じとることもできない。
でも「自分の繊細な花」を見ることができた貴方は、
「相手の繊細な花」を見て感じとることができる。
繊細な花は、あなたの心に宿るもの。
#5 繊細な花
2024年6月24日 現在
私は4年大学を卒業し、
今年4月から幼稚園教諭として働いている。
中学時代の職場体験で、
就職先の幼稚園でお世話になった。
そして高校2年生の夏、
子どもが好きだという単純な理由から、
保育士または幼稚園教諭を目指し、
4年大学に進学することを決意。
大学生では、実習を乗り越え卒業論文を乗り越え……。
ようやくありつけた憧れの幼稚園教諭。
今は年中さん(4〜5歳児)の副担任をしている。
社会人としても、幼稚園教諭としても1年目。
分からないことだらけで様々な場面にストレスを感じ、
子どもからいろいろな菌をもらって体調を崩す毎日。
華やかに見えていた職業は、結構辛いものだと
日々実感している。
1年後の私は、まだこの職業を続けているのだろうか。
もし続けていたとしたら……。
何歳児を担当しているだろうか。
どの先生とペアを組んでいるのだろうか。
今よりは少しでもいいから。
もっと心に余裕を持ち、
心の底から子どもたちを可愛いと素直に思い、
幼稚園教諭という道を選んだ私を肯定してあげたい。
ああ、きっと1年後の私のクラスの子どもたちは
年長さんになって立派になっているのだろうな。
また担任を持てたらいいなあ。
#4 1年後
自分の興味の赴くままに過ごしていたあの時。
自分の気分次第で行動できていたあの時。
私は、オオイヌノフグリが大好きだ。
よく子供の頃は、祖母と家の周りを散歩していた。
春になるとたんぽぽやつくしが、そこらじゅうを埋めつくしていた。
その中でも好きな花が「オオイヌノフグリ」。
花言葉は考えないとして。
単純に、小さくて儚くて。でも確かに咲いていて。
心の底からオオイヌノフグリの魅力に惹かれた。
しかし、大人になった今。
オオイヌノフグリを目にすることが少なくなった。
意識的に道端に咲いている花を見ようとしていないこともあるだろう。
それ以上に、自分の背丈が伸びて目につかなくなったことが要因である。
子供の頃は、綺麗で鮮やかな青色の絨毯に見えていた
オオイヌノフグリ。
オオイヌノフグリの大きさは、子供の頃も、
大人になった今も変わらないというのに。
来年の春は子供に戻って少ししゃがんで見てみようか。
もっと世界が大きく見えるに違いない。
#3 子供の頃は
日常って「日」の「常(つね)」と書くけれど、
全く同じ日は無い。
毎日のルーティンのようなことを日常と言うのか?
ただ、日々何が起こるか分からない世界で、
果たして「日常」はあるのか?
刻一刻と状況が変化する世界。
もしかすると、明日この日本でも戦争が始まるかもしれない。
もし、何事も起きない平和な生活が
「日常」なのだとしたら。
私たちは精一杯、この「日常」を守り続けていきたい。
#2 日常
水色。
皆は何を思い浮かべるだろうか。
「空」「水」「ソーダ」
清らかで爽やかで涼し気で癒されるような。
そんな印象。
きっと今の私が求めているもの。
日によって好きな色は変化する。
貴方が好きな色は、自分の心が求めている色。
自分の心に問いかけてみよう。
「今日の自分は何色が好き?」
#1 好きな色