「虹の架け橋」
土砂降りだった雨がピタッと止んだ。
渡り廊下の掃除をしている最中に
君が「あっ」と指を指した方向を見ると
虹ができていた。
「虹はね、必ず太陽の反対側に出来るんだよ」と
君が教えてくれた。
「へぇ〜、じゃあ君は虹を見つけやすいんだね」
僕の渾身の告白。
いつも眩しい笑顔で笑う君が
恥ずかしそうにそっと頬を赤らめて呟く。
「どう言う意味かちゃんと聞きたい」
「太陽のような君が好き」
「私も君が好きだよ」
君という存在への架け橋になってくれた虹は
太陽の次に好きなもの。
「秋色」
暑い夏の間は「早く秋が来ればいい」と
願っているのに、いざ秋を感じるとなぜか
切ない気持ちを思い出す。
秋は好き。だけど、涼しい秋の風を感じて
思い出すのはちょっぴり苦い記憶たち。
sonyのウォークマンで曲を聴きながら
こっそり泣いていた高校生の自分。
でもこんな思い出も今となっては愛おしい。
ノスタルジックな感情に酔いたい日が
あったっていい。これが私にとっての「秋色」。
「もしも世界が終わるなら」
もしも世界が終わるなら、
いつもならしないちょっとした贅沢をしてみたい。
世界の人々が皆平等に「最後の日」を迎える
だろうから、当然公共交通機関やホテル、遊園地
レストラン、スーパー、コンビニだってやってない
だろう。
そうなると、家でできる最大限の楽しみ方がいい。
朝からシャンパンだって飲んじゃうし
ケーキを手づかみで食べてみたい。
お風呂にキャンドルをたくさん並べて
アイスを食べながら映画を観るのもいい。
でも世界最後の日じゃなくたって
こんな日があったっていい。
たまには「今日が世界最後の日」と思って
ちょっとした贅沢をする日を作ると決めた。
「靴紐」
靴紐が解けるタイミングはいつも悪い気がする。
朝急いでいる時や人混みが多い時など。
いつも「立ち止まっても大丈夫か」と周囲への
若干の配慮をしながら結んでいる。
自動で結んでくれる靴が開発される未来も
あるのではと、いつか見たSF映画のワンシーンを
思い浮かべながら少し期待してしまう。
でもなぜか結び終わると無意識に「よしっ」
と心の中でつぶやいて歩き出す自分に気がつく。
少し前向きになれる言葉をつぶやける瞬間が
嫌いじゃない。
「答えはまだ」
自分の人生はこれでいいんだろうか。
死んだ後に天国かなんかで、人生のビデオ鑑賞会
をして自己評価する時間が設けられていたら
「自分の一生」について分かるのかもしれない。
天国とか地獄とかそんなものがあるのかも分からないが、人生のビデオ鑑賞会を想像すると何となく「何もない白い広い空間」を思い浮かべるから、それが自分の想像する死後の世界なんだろうと思う。
自分の一生が良いものなのかどうかの答えは
まだ分からない。
そもそも一生の長さを測れるのは
死を経験した人でないと分からない。
だからこそ、答えがまだない
「自分の人生の正解」を求めて今日も生きる。