変なバイトに応募した。
業務は、カーテンを開けて見えた景色を記録すること。この時点で少し変だが、もっと変なのはその窓が地下室にあるということ。
そして、そこから地上の景色が見えることだ。
不思議なことに、その窓から見える景色は毎日違う。
ある日は、都会の通りが見える。
ある日は、寂れた古い路地が見える。
ある日は、砂漠。ある日は、アルプスの草原。
東京タワー最高階からの景色が見えたこともあった。
「その窓は、死者の国と面しているんだよ」
雇い主であるおじさんは、初めて窓を見た驚きで口が聞けない俺にそう言った。
「この地下室の真上には、昔神社かあったんだよ。今は取り壊されてしまったけとね。それで行場を失くした、この地に深ーく残る龍脈が、たまたま意味のないこの窓と繋がっちまったのさ」
おじさんの言ったことは、突然事実として俺の前に現れた。
ある日、カーテンを開けると、目の前に広がったのは見慣れた昔の家のキッチンと、子供の頃に亡くした母さんの姿だった。
「母さん!」
俺が窓越しに声をかけても、母さんは振り向かない。
母さんは誰かと話をしていた。背伸びをして隣に立ちながら、拙い手つきで何かを混ぜている――子供の頃の俺だ。
ふと、涙が溢れた。
窓越しに見えるのは、昔の思い出。もう再び見ることのできないと思ってた、母との生活の一部。
なにより、死んだ母さんが、思い出という形であっても今でも俺を思っていてくれて、嬉しかった。
「俺、頑張るから。母さんが居なくて寂しいけど――最後には、笑ってそっちに行けるように、頑張るから」
泣きながら俺がそう言うと、母さんは少しだけこっちを向いて微笑んだ気がした。
あれから少し時間が経った。
今はバイトを止め、新しい職にも就いた。これまでよりはまともに生活を送れていると思う。
辛いこともあるけど、不安はない。
あの日、窓越しにもらった愛情と自信は、間違いなく本物だと信じているから。
最後に空を見上げたのはいつですか?
それなら、外に出たときに毎朝見てるって?
ただ空が視界に入ってきたのはカウントできませんよ。
太陽の眩しさに目を細めながら、上を見上げて、入道雲の形を凝視して、空の青さに圧倒される。
そういう、身近で簡単にできるけど、最近した記憶がないことってありませんか?
たまには、空を見上げてみてください。
スマホや単語帳は、とりあえずカバンにしまって。
日々の忙しさで目を下に向けるうちに、大空の広さを忘れてしまっているでしょうから。
きっと、蒼穹に堂々と佇む入道雲の大きさに呆気にとられることでしょう。
――もし、入道雲の中に宇宙船が見えたとしても、気付けるのは、空を見上げているあなただけなのです。
夏は、晴れて社会の一員となった俺に、学生の頃とはまるで違う顔をしてやってきた。
今年の暑さは目も眩むほどで、多忙な毎日に疲れ切った体をじりじりと蝕んでいく。その時点で俺の心身は限界なのに、周りの社会人たちはいつも通りの速さで動いている。
今や思い出となった、夏祭りの喧騒、花火の煙の匂い、セミの鳴き声、目が焼かれるような夕焼け――全てを届けてくれた夏は、もう俺の前に現れてくれない。
そのことを思うと、無性に悲しくなった。
「…嫌いだよ」
無意識に口から漏れ出た言葉。
この日々も、この暑さも、それが変わっていくことも、嫌いだ。
失って、大人になる。時間が過ぎ去って、何か一つを気づかぬ内に失くしたまま成長していくのが、珍しくもない世の常のこと。
大変な日々でも、その一日は二度と返ってこない。夏は過ぎ去るのを待ってはくれないみたいだ。
君と一緒にいられる、最後の日。
君があまりにもいつも通りの調子でいるから、私は用意していた言葉も、思いも、何も伝えられなかったよ。
別れ際に君が見せた笑顔は、私が君に恋をしたときと同じ、何にも暗いことを感じさせない、はじけた笑顔だった。
私も君みたいに笑えてたかな。